1 p 176 28 8 49 30 27 26 {{Infobox Language}}\n{{Wikipedia}}\nイタリア語(イタリアご)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語の1つで、おおよそ6千万人ほどが日常的に使用しており、そのほとんどがイタリアに住んでいる。後置修飾で、基本語順はSVO。イタリアは漢字で「伊太利亜」と表記することから、「伊太利亜語」を略記し伊語と称される。 -1 hr 0 0 0 0 0 0 0 -1 h2 6 0 0 0 4 0 0 イタリア語圏 1 p 108 29 5 29 42 8 7 イタリア語はイタリア、サンマリノ共和国で公用語として定められている。スイスではティチーノ州全域とグラウビュンデン州(グリジョーニ州、Grigioni)の一部がイタリア語圏であり、スイス全体としても公用語になっている。 1 p 75 25 3 23 35 0 3 また、スロベニアのイストリアとクロアチアには少数のイタリア語話者住民がいる。フランスのコルシカ島ではイタリア語の方言であるコルシカ語が使用されている。 1 p 160 24 7 73 24 0 7 バチカン市国では、公用語であるラテン語の他に、イタリア語が一般の業務用語として使用される。また、その昔はクラシック音楽の楽譜に書き込む楽語はイタリア語が公用語として長く守られてきており、後の時代に作曲家がそれぞれの母語をも混合して楽譜に盛り込むようになってからも、基本的な伝統的楽語はイタリア語によって書き記されている。 1 h3 15 0 0 6 4 0 0 イタリア語を公用語としている国 1 ul 45 35 2 1 24 0 7 イタリア共和国 サンマリノ共和国 スイス連邦(ドイツ語、フランス語、ロマンシュ語と併用) 1 h3 24 0 1 11 4 0 1 公用語ではないが、イタリア語が使用されている地域 -1 p 1 0 0 0 0 0 1 1 div 105 1 4 48 8 0 10 世界でイタリア語が話されている地域を示した地図。\n濃い青色が公用語としている地域であり、薄い水色が公用語ではないが普及している地域である。\nまた緑色の点はイタリア系移民が密集している場所を意味している。 -1 h4 7 0 0 0 5 0 1 欧州・アフリカ 1 ul 158 135 0 5 89 0 18 ドイツ連邦共和国 グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国 ベルギー王国 ルクセンブルク大公国 フランス共和国(ニース・コルシカなど) クロアチア共和国 スロベニア共和国 アルバニア共和国 バチカン市国 マルタ共和国 モナコ公国 大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国 エリトリア国 ソマリア民主共和国 -1 h4 7 0 0 2 1 0 1 北南米・その他 1 ul 63 57 0 0 36 0 7 アメリカ合衆国 ウルグアイ東方共和国 ブラジル連邦共和国 アルゼンチン共和国 ベネズエラ・ボリバル共和国 オーストラリア連邦 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 方言 1 p 61 60 2 21 12 0 3 イタリア地方とその周辺地域におけるイタリア語分布図 イタリア語の方言分布。方言を独立言語と見るかの議論が盛んになっている。 1 p 211 32 11 79 26 0 15 イタリア語の方言は大きく北部方言・中南部方言に大別可能で、ラ・スペツィア=リミニ線が等語線となっている。そこから更に北西部・北中部方言、北東部方言、中部方言、南部方言、周辺の島々の方言に分けられる。イタリアは西ローマ滅亡以降、政治的分裂が長らく続いており、そのために各地域毎の方言差が大きくなったとされている。これは同じく長年にわたって領邦国家時代が続いていたドイツが同様に多数の方言と地方言語を抱えている状況と似ている。 1 p 426 45 14 180 85 0 22 イタリア本国で、また他国のイタリア語教育の場において盛んに用いられている標準イタリア語はそうした各地の方言の中から最も周辺国の言語(フランス語やスペイン語など、イタリア地方と歴史的に縁深い国の言葉)の影響を受けていない中央イタリアのトスカーナ方言にナポリ方言・シチリア方言の語彙を取り入れたもので、統一後の標準語政策によって盛んに広められた(詳しくは方言を参照)。そのため、現在イタリア国民のほとんどは標準イタリア語の話者となっている。しかし一方で近年のローカリズム運動の高まりもあって、方言の中でも特になまった(独自性の強い)ものについては独立した地位を与え保護すべきかどうかについて議論が進められている。具体的にはシチリア語、ナポリ語、ヴェネト語、ガロ・イタリア語などが例に挙げられ、高齢層を中心にイタリア国民の4割がイタリア語と共にこうした地域言語とも言うべき方言を理解できるという。都市部などでは標準イタリア語の現地方言に取って代わられている。 1 p 192 0 7 99 19 0 14 各方言を言語とすべきとする論者の中でも、十数個の細かい言語へ分類するのか、あるいはある程度まとまりのある規模(北イタリア語、ガロ・イタリア語など)にすべきか意見が分かれている。またこうした議論の一方で、イタリアにおける各地域の話し言葉が(1つの言語体系としてまとめるには少ないとしても)一定の共通点を持つことについての異論はなく、「イタリア諸語」という表現をする地域主義者も存在する。 -1 h3 4 0 0 0 0 0 0 方言一覧 1 p 106 5 3 42 18 0 3 各方言の特徴は中世以降の歴史的経緯もさることながら、ラテン人によるイタリア統一前に居住していた他の古代イタリア人やギリシャ人植民者の用いた言葉の影響も存在しており、これらは俗ラテン語時代を通じて現在に残っている。 1 ul 864 316 14 77 289 190 169 北部イタリア語(ガロ・イタリア語・パダーニャ語などとも呼ばれる) \n チザルピナ語(仮の分類)\n ピエモンテ方言(piemontese) - トリノ ベルガモ方言(bergamasco) - ベルガモ ロンバルディア方言(lombardo) - ミラノ、スイスティチーノ州 ジェノヴァ方言(genovese)またはリグーリア方言(ligure) - ジェノヴァ エミリア方言(emiliano)とロマーニャ方言(romagnolo) - ボローニャ、パルマ ヴェネト方言(veneto) - ヴェネツィア、パドヴァ、ヴェローナ、トレントなどヴェネツィア共和国の領域。共和国時代に様々な国と貿易をしていたためか、影響を受けた他言語の数が比較的多い。 中南部イタリア語(イタロ・ダルマチア語などとも呼ばれる)\n トスカーナ方言(toscano) - フィレンツェ、ピサ、シエナ(実質的なイタリア語) 中央イタリア諸方言(トスカナ語と極めて近く、緊密な方言連続体を形成している)\n ローマ方言(romanesco) - ローマ ウンブリア方言(umbro) マルケ方言(marchigiano) - マルケ州 コルシカ北東方言(cismontano) - コルシカ島北東部 コルシカ南西方言(oltramontano) - コルシカ島南西部 イストリア方言(istriano) - イストリア半島西部。 サルデーニャ方言(sardo) - サルデーニャ島 ナポリ諸方言(オスク語の影響があると考えられている):\n アブルッツォ方言(abruzzese) - ペスカーラ カンパーニア方言(campano) - ナポリ ルカニア方言(lucano) シチリア諸方言(ギリシア語の影響があると考えられている) :\n サレント方言(salentino) - レッチェ カラブリア方言(calabrese) - レッジョ・ディ・カラブリア シチリア方言(siciliano, sicilianu) - パレルモ。アラビア語の影響も見られる。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 歴史 1 p 231 37 8 98 47 0 10 古代のイタリア半島においては複数の古代イタリア人とも言うべき部族が存在し、それぞれが異なる言語を用いていた。その後、古代イタリア人の一派であるラテン人の国家ローマによるイタリア統一によって、彼らの言葉であるラテン語がイタリア人の公用語として普及した。ラテン語はローマの力が西欧や地中海沿岸部に広がるにつれて更に拡大したが、公式の場で用いられるラテン語と民衆の話し言葉としてのラテン語、いわゆる民衆ラテン語(俗ラテン語とも)には若干の差異が存在したと言われている。 1 p 282 15 8 132 41 0 12 ローマ帝国の分裂は各地の民衆ラテン語の方言化を招き、イタリアにおいても「民衆ラテン語のイタリア方言」と呼べる言葉が成立した。イタリアにおける民衆ラテン語の方言は時間と共に変化の度合いを深め、いつしか他地域の民衆ラテン語とは明らかに異なる言語と言えるほどの変化を得た(古イタリア語)。民衆ラテン語から古イタリア語への変化が何時ごろ生じたかを正確に判断することは難しく、また当時の欧州諸国は公用語としてラテン語を用いており文章による記録が少ないため、どのようなものであったかについての検証も容易ではない。しかし少なくとも10世紀頃には既に成立していたと考えられている。 1 p 374 35 12 146 91 0 18 イタリア語は近世のイタリア・ルネサンスにおいて、イタリア人共通の言語を形成しようとする文化人の運動の中で形成された。とりわけその主導権を握ったのはトスカーナ出身の詩人ダンテ・アリギエーリで、彼は当時古典ラテン語で書くのが一般的であった文学作品を、中央イタリア語のトスカーナ方言に南部のナポリ語・シチリア語の語彙を取り入れた言葉で執筆した。この言葉が現在のイタリア語と呼ばれる言語であるが、ダンテの作品が大きな文学的賞賛を得ながら、トスカーナ方言を中核にしたこの言葉が直ちに全土の公用語となることはなく、ダンテの死後からしばらくは死語になりかけすらした。だがカスティリオーネらを中心とする文学者グループが再び共通語・標準語作りを呼び掛ける際、ダンテの事績を大いにたたえたことで標準語を求める動きは再加熱し、同時にダンテの「イタリア語」も脚光を浴びた。 1 p 404 55 16 148 126 0 24 しかしここでイタリアの文学者達に大論争が巻き起こる。カスティリオーネのグループはダンテの名声を政治的に利用しつつ、イタリアの様々な言語(おおむね今日においてはトスカーナを含む中央イタリア語、ガロ・イタリア語、ヴェネト語、ナポリ語、シチリア語、サルデーニャ語などに分けられる)を平等に配分した一種のクレオール言語を作り出そうとしていた。これに対し、ダンテは中央イタリア語以外の系統に属するイタリアの言語に配慮しつつも、あくまでトスカーナ方言が標準語になることを望んでおり、同じ目的でありながら真っ向から対立する路線であった。次第にカスティリオーネらはダンテを独善的と批判するようになり、これに標準語運動の旗印であったダンテの「トスカーナ方言をベースにした標準語運動」を進めるべきとするピエトロ・ベンボ(ヴェネツィア出身で、ペトラルカの影響を受けていた)のグループが独立、イタリア中を巻き込む一大論争に発展した。 1 p 223 17 6 88 53 0 10 最終的にこの論争は後者の勝利となり、カスティリオーネは退けられダンテの作った「トスカーナ方言の方言」としてのイタリア語が地位を得た。この言語は文学者や詩人たちの手でそれまで欧州全体の公用語であったラテン語に変わる形で用いられ、その公的地位を向上させた。こうしたルネサンス期のイタリア語文化は後のリソルジメントにおいて、民衆の統一を望む動きの原動力として影響力を発揮することとなる。\nダンテ・アリギエーリの諸作は近代イタリア語の成立に大きく貢献した 1 p 388 35 13 149 70 0 25 統一当初、正式な標準イタリア語(「文学的なトスカーナ方言」という表現もある)は貴族や学者など上流階級のみで話されており、民衆は中部イタリア語系の俗語・方言か、系統の違うナポリ語などを話していた。イタリア政府は国民意識の更なる向上のため、フランスの政策を参考に方言の廃止と標準語の浸透を国家政策として進めた。現在、イタリア国民のほとんどがこの標準イタリア語を理解できる。しかし言語の統一は民族主義的な思想へと繋がり、第一次世界大戦においては「イタリア語の響きが聞こえる全ての土地」をイタリア民族の下に統一しようとする民族思想(イリデンティズム)が盛んになる。ラテン語から最も近いトスカーナ方言をベースにしたイタリア語(ラテン語との同一性は75%に達する)の響きを持つということは、全てのラテン語圏を指すのと同義であり、これが二度の世界大戦への参加を促す結果を生み出してしまった。 1 ul 609 169 22 111 171 25 108 960年 - 『カプアの判決文』の中でイタリア語(現地方言)での証言を記録。 13世紀 - シチリア王国の宮廷において詩人が、プロヴァンス詩を真似てシチリア語で詩を作成。 1304年頃 - ダンテ、『俗語論』で俗語(イタリアで話される各言語)について記述(ラテン語論文)。 1321年 - ダンテによる『神曲』がイタリア語(フィレンツェ方言)で書かれる。 1349年-51年 - ボッカッチョによりデカメロンが執筆される。 1470年 - ペトラルカの『カンツォニエーレ』が出版される。 1513年-14年 - マキャヴェッリが君主論を執筆。 16世紀前半 - ピエトロ・ベンボが14世紀のフィレンツェ方言を、イタリア語の文語とするように主張。 1583年 - トスカーナ大公国のフィレンツェに言語研究のためのクルスカ学会が設立される。 1612年 - イタリア語初の国語辞典 (Vocabolario) がクルスカ学会により出版される。これはフィレンツェ語を元にした。 1623年 - ガリレオ・ガリレイが、当時の共通語であるラテン語ではなくイタリア語で論文を出版。その後、多くの論文をイタリア語で出版した。 1821-40年 - ミラノ出身のアレッサンドロ・マンゾーニが、トスカーナ語を元に『婚約者』(I promessi sposi) を執筆。 1861年 - イタリア王国が成立。イタリア語を公用語とした。 1 p 44 15 1 13 19 0 2 各地を旅して興行が行われたオペラやコンメディア・デッラルテもイタリア語の普及に貢献した。 -1 h2 4 0 0 0 0 0 0 音韻対応 1 p 87 25 4 36 28 0 4 イタリア語にはラテン語と同様の二重子音があるが、他のロマンス語であるフランス語やスペイン語のそれとは異なっている。この違いから、他のロマンス語と比べて特有のアクセントがある。 1 p 184 17 6 63 7 30 41 ラテン語で「子音 + l + 母音」であった音は、イタリア語では l が i に変化しているものが多い[1]。接頭辞 re- が ri- になっているものが見られる。破裂音 + s, または異なる破裂音が連続する場合は後ろの音に同化し、長子音となる(actum→atto など)。また開音節で強勢を持つ短い o の多くがuoに変化している (bonus→buono)。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 文字 1 p 92 24 8 23 22 13 10 アルファベート(alfabeto)と呼ばれるラテン文字アルファベットの26文字を使用する。この内、母音字のA、E、I、O、Uにはアクセント符号を使用するが、言語的に同じ文字として扱う。 1 p 84 14 5 32 3 5 11 K, J, X, Yは人名や地名、方言、外来語で使用する。Wは古来の文字ではないので英語やドイツ語からなどの外来語で使用する。このため通常使用文字は21文字ともいえる。 1 p 93 0 4 44 6 2 6 読み方は1文字だけ強調する場合はAを「アー」の様に伸ばすことも多い。イタリア語で良く使う文字は非常に規則的な読み方で、X以外のあまり使われない文字の方は長く、読みも1つに確定していない。 1 p 109 7 4 38 9 13 12 電話などでの綴り伝達法ではイタリアの都市の名を使い「アンコーナのA」のように使用するが、Hは1文字目がHの都市名が無いため外来語のhotelを使用している。K, J, Yは外来語の一般名詞で、W, Xは固有名詞を使う。 1 p 47 0 2 17 5 0 4 辞書での単語の順は26文字を表の順(英語と同じ)に並べ、母音字のアクセントも順には影響しない。 1 p 120 4 10 46 0 0 11 文章では小文字を主体に記述する場合、大文字は文の先頭や固有名詞の先頭の1文字に使用する。代名詞などの敬称の先頭文字も大文字とする。\n文全体を大文字で記述することもあり、碑文、見出し、本の題名、漫画のふきだし、手紙、落書きなどで多く見られる。 1 p 173 5 6 60 12 25 29 最近の文字の使用方法では、携帯電話のメッセージや電子メールなどで文字数を少なくする用途で、「X」を「per」(掛け算の記号から)、「6」を「sei」(essere の現在第二人称単数形)などと読ませた文章を作成することもある。イタリア語では通常「k」を使用しないが「ch」を「k」と置き換えることもある。よって「perchè」が「xke」となる。 -1 div 1 0 0 0 0 0 1 -1 p 0 0 0 0 0 0 0 -1 h2 5 0 0 2 0 0 0 発音と綴り 1 p 150 13 6 62 17 0 8 イタリア語の音節は、1個以上の子音と母音の組み合わせからなる。発音に対する綴りは、子音と母音が一対一の場合は日本語のローマ字綴りに近い(ローマ字綴りがイタリア語等のラテン系言語の母音の表記に倣っているため)。また以下に示すように発音が規則的であるため、同じ綴りで発音が違うと言った単語が非常に少ない。 -1 h3 11 0 0 0 0 6 3 母音 (vocale) 1 ul 254 0 11 83 10 18 60 母音はa, e, i, o, uで表す。eとoに2種類の発音があるので7種類になる。 eには強勢部のみ [e]と[ɛ], /E/がある。語末にアクセントが来た時や辞書で広狭を明確にする場合、閉口音の[e]は é, 開口音の[ɛ]は è で記述する。語末のアクセント記号は広狭にかかわらず必ず書かれる。 oには強勢部のみ [o]と[ɔ], /O/がある。E と同様、閉口音[o]は ó, 開口音[ɔ]は ò で記述する。 eとoの各2種類の発音は、意味の違いを表すが文脈などで区別できる場合が多く対立は弱い。 -1 h3 15 0 0 0 0 10 3 子音 (consonante) -1 div 1 0 0 0 0 0 1 1 ul 1059 40 56 312 30 192 273 子音字はb, c, d, f, g, i, l, m, n, p, q, r, s, t, v, z を使用。 cはa, o, uと使用された時は子音[k]を表す。e、iと共に使用された時は子音[tʃ], /tS/を表す。ce(チェ)、ci(チ)。 chはe, iと共に使用され、1つの子音[k]を表す。che(ケ)、chi(キ)。 scはa, u, o と共に用いた時は二重子音[sk]だが、e, iと共に使用された時は別の1つの子音[ʃ], /S/を表す。sce(シェ)、sci(シ)。語中では長めに発音される。 gはa, o, u と使用された時は子音[g]を表す。e、iと使用された時は子音[dʒ], /dZ/を表す。ge(ヂェ)、gi(ヂ)。 ghはe, iと共に使用され、1つの(語中では長い)子音[g]を表す。ghe(ゲ)、ghi(ギ)。 gnは鼻音の[ɲ], /J/を表す。例えばgnaは「ンニャ」に近い。 h+母音は母音のみの音と同じ。 i+母音となった時のiはアクセントでない場合、子音[j]を表す事が多い。 単独のgliは{{IPA}}, /Li/, 母音+gliは[ʎʎi], /LLi/の音となる。ただし[gli]と読む単語もある。また、gli+母音の場合は"gli"3文字で1つの子音を表す。"luglio"は {{ipa}}(ルッリョ)。 qは常にuと共に使用され、qu[kw](ク)となる。 sは有声音[z]と無声音[s]のどちらも表す。次に来る子音が有声音の場合(sl-, sb-など)は有声で、次の子音が無声音の場合は無声音になる。語頭や母音に挟まれた場合は単語により決まる。casa(家)や地名Pisaのようにピサでもピザでも構わないというものも多い。また、発音の違いで意味の違いはない。 zは語頭では有声音[dz]、それ以外では無声音[ts]になる。どちらでも構わないという単語もある。ただし接尾辞 "-izzare" 「~化する、~にする」では {{IPA}} と有声かつ長音である。無声の場合z1個でも促音になりやすい。 半母音と拗音はiとuを母音の前に使用して表記。 子音字を2つ連続させて促音を表すが、rrは巻き舌が強くなる。ただし q を重ねる語はsoqquadro(混乱)以外わずかにしかなく、普通は acqua のように cq が使われる。 二重子音など子音が複数個重なることがある。fra, quattroなど。 1 p 48 0 2 13 4 0 7 以下は子音+母音の代表的なものと、日本語の発音(カタカナ)と発音記号(括弧内)との対応表である。 1 p 45 0 2 26 0 2 5 日本語での発音は近いものを選んでいる。e と o についてはそれぞれ広狭の違いは割愛した。 -1 div 1 0 0 0 0 0 1 -1 h2 5 0 0 0 5 0 0 アクセント 1 p 24 0 1 5 14 0 2 イタリア語のアクセントは強弱アクセントである。\n 1 ul 624 7 22 171 66 159 82 アクセント(強勢)は単語の後ろから2番目の母音(parossitono)にあることが多い。Dio, io はiがアクセントである。 後ろから2番目の母音字のiが拗音になっている場合は、2番目の母音は3番目の母音字のaになる。Italia, dizionario, salumaioなど。 アクセントが語尾にある場合はアクセント記号を付ける。città, caffèなど。英語の-(i)tyに当たる接尾辞は-(i)tàとなる。 動詞の変化形の三人称複数では後ろから3番目がアクセントになる。amano, possonoなど。 アクセントが後ろから3番目に来る単語(parola sdrucciola)も多く、camera, facile, difficile, edicola, tavolaなどがある。人名、都市名ではこの例外が多い。Cesareは初めのe, Napoliはa, Genovaはe。 -bile, -mereなど語尾の前にアクセントがつくパターンがある。 イタリア語には弁別的な長母音は無いが、アクセントのある母音で次が子音1つの時は長音で発音されることが多いので、カタカナ表記で長音記号「ー」を入れることがある。例. carnevale {{IPA}} カルネヴァーレ(謝肉祭) 例外的ではあるが、書籍などで日本人作家の名前に長音があるとラテン語の長音記号で表現することがある。この記号は小学校で習うローマ字の記号と同様である。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 文法 1 p 22 8 2 6 4 0 2 文法、統語法についてはイタリア語の文法参照。 -1 h2 4 0 0 0 0 0 0 基本単語 1 p 29 0 0 6 0 0 7 <動詞は括弧内に現在一人称単数をあげる>\n -1 ul 279 0 0 13 0 181 61 赤 rosso 橙 arancione 黄 giallo 緑 verde 青 azzurro,blu 紫 violetto 白 bianco 黒 nero 上 sopra 下 sotto 右 destra 左 sinistra 前 davanti 後 dietro 眠る dormire(dormo) 話す parlare(parlo) 飲む bere(bevo) 歩く camminare(cammino) 見る vedere(vedo) 感じる sentire(sento) 可能である potere(posso) 義務である dovere(devo) -1 h3 2 0 0 0 0 0 0 数詞 -1 div 1 0 0 0 0 0 1 -1 h2 7 0 0 2 0 0 0 日本語との関係 1 p 112 6 4 40 20 0 14 イタリア語と日本語の関係は、ほとんど名詞の範囲にとどまっている。\nただ、近年の日本語において形容詞の最上級「~ッシモ」や住人を指す「~ネーゼ」(例:シロガネーゼ)のようなイタリア語の派生語作成法が取り入られる現象も存在する。 -1 h3 10 0 0 2 4 0 0 イタリア語から日本語 1 p 109 26 6 27 47 0 10 イタリア語から日本語に取り入れられた語は、階名のドレミや演奏記号(フォルティッシモ、エスプレッシーヴォ、カンタービレなど)の音楽用語が多い。イタリア料理の流行に伴い、スパゲッティやティラ・ミ・スなどの語も一般的である。 1 p 63 6 3 23 14 0 5 また、自動車の名前(仕様やグレードに特に多い)には古くから、近年には建物名やファッション等にイタリア語の単語が使用されている。 1 p 74 0 2 36 22 0 2 イタリアでサッカーが盛んであることから、日本のサッカークラブではイタリア語の単語もしくはそれをもじった造語をクラブ名の一部として使用することが多い。 1 p 63 13 4 21 8 0 6 イタリア語から日本語の外来語に転じた語。ただし音楽、食べ物の単語は除く(音楽は演奏記号を、食べ物はイタリア料理を参照のこと)。 1 ul 760 120 26 136 202 129 155 インフルエンザ (influenza) - イタリア語での発音はインフルエンツァ。 オペラ (opera) カジノ (casino) - 元々は小屋の意味。フランス語を通じて。 ゲットー (ghetto) - 元々はヴェネツィアの地名。イタリア語での発音はゲット。 ゼロ (zero) - アラビア語からイタリア語で現在の形に。英語を通じて。 ソロ (solo) - 音楽用語を通じて、グループ活動に対して1人の意。 テンポ (tempo) - 音楽用語を通じて。イタリア語では天候なども表すが、時間の進み方の意味だけ。 チャオ (ciao) - イタリア語ではくだけた関係での挨拶で、出会いと別れの両方に使用し、日本語でも砕けた挨拶に使用する。ヴェネツィア語の奴隷が起源。 トトカルチョ (totocalcio) - イタリア語の「サッカーくじ」が転じて闇賭け試合 パパラッチ (paparazzi) - イタリア語ではパパラッツィ。単数形はパパラッツォ (paparazzo) ビエンナーレ (biennale) - 二年毎に行われる展覧会 ファッショ (fascio) - ファシズムの人 ブラヴォー (bravo) - イタリア語での発音はブラーヴォで、イタリア語では声をかける対象の性数により語尾変化する。日本語へは、フランス語を介して輸入されたとみなされている。 プリマ・ドンナ (prima donna) - 演劇など(特にオペラ)で主役の女性。イタリア語では大統領夫人などにも使用される。 マフィア (mafia) マニフェスト (manifesto) - 英語を通じて モットー (motto) - イタリア語での発音はモット。 モンテネグロ (Montenegro) - 国名。ヴェネツィア語から。 1 p 49 0 2 20 7 5 8 「タント」(tanto)については、偶然ながらイタリア語と日本語でともに「多い」という意味である。 -1 h3 10 0 0 2 4 0 0 日本語からイタリア語 1 p 58 0 2 23 8 0 3 イタリア語における外来語は徐々にイタリア語風の綴りになる傾向があり、日本語からの外来語も例外ではない。括弧内は語源\n 1 ul 309 20 11 60 2 120 60 cachi、kaki(柿)- 外来語とは知らずに単数形を caco だと思っている人が多い。 chimono、kimono(着物)- 柿とは逆に複数形が kimoni に変化する。 gheiscia、geisha(芸者)-着物のように複数形がgeisheに変化する。 kamikaze(神風)- 神風特攻隊の略称「神風」が転じて「自爆テロ」を指す。 manga(漫画)- 日本風の漫画(fumetto giapponese)に限定して使用する。その他の漫画は fumetto を使用する。 shiatsu、shazu(指圧) tatami(畳)- tatamo という単数形ができつつある。 gomasio(ごま塩) 1 h3 18 0 0 4 4 0 0 イタリア語の日本語表記時の表記の揺れ 1 p 14 11 1 1 4 0 1 イタリア語の日本語表記参照。 -1 h2 4 0 0 0 0 0 0 検定試験 1 p 309 146 7 52 45 107 41 日本における検定試験は、イタリア語検定協会が実施している、実用イタリア語検定が年に二回行われている。また、ローマ第三大学http://www.littleeurope.jp/主催の「IT」と言われるイタリア語検定は年に1回行われている。\nダンテ・アリギエーリ協会(Società Dante Alighieri)http://www.il-centro.net/dante主催のPLIDAhttp://www.il-centro.net/dante/plida/page2.htmlと言われるイタリア語検定も年に2回(5月と11月)行われている。過去の問題集はダンテ・アリギエーリ協会本部のホームページから閲覧できる。 1 p 43 8 1 14 7 4 1 シエナ外国人大学が主催するCILSと言われるイタリア語検定試験も年に2回行われている。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 脚注 -1 p 10 0 0 0 3 0 5 {{脚注ヘルプ}}\n 1 div 82 7 3 18 0 17 24 ↑ 最初の子音が c, g であった場合、正書法上は、音価を保つために "h" が挿入されている。 ex. clarus→chiaro 1 h2 4 0 0 0 0 0 0 関連項目 -1 p 18 0 0 0 0 13 5 {{Wiktionarycat}}\n 1 ul 98 78 0 7 39 14 18 イタリア人 イタリア文学 関連する言語: ラテン語 - ロマンス語 - コルシカ語 - サルデーニャ語 Wikt:Wiktionary:イタリア語の索引 ネイティブスピーカーの数が多い言語の一覧 -1 p 21 0 0 5 0 11 5 {{DEFAULTSORT:いたりあこ}} -1 p 1 0 0 0 0 0 1 -1 p 2595 2437 0 0 0 1536 518 af:Italiaans als:Italienische Sprache am:ጣልያንኛ an:Idioma italián ang:Italisc sprǣc ar:لغة إيطالية arc:ܠܫܢܐ ܐܝܛܠܝܐ arz:لغه طليانى ast:Italianu az:İtalyan dili bar:Italienisch bat-smg:Italu kalba bcl:Italiano be:Італьянская мова be-x-old:Італьянская мова bg:Италиански език bn:ইতালীয় ভাষা bo:ཨི་ཏ་ལིའི་སྐད། bpy:ইতালীয় ঠার br:Italianeg bs:Italijanski jezik ca:Italià cdo:É-dâi-lé-ngṳ̄ ce:Italhoyn mott ceb:Initalyano ckb:زمانی ئیتاڵی co:Lingua taliana crh:İtalyan tili cs:Italština csb:Italsczi jãzëk cv:Итал чĕлхи cy:Eidaleg da:Italiensk (sprog) de:Italienische Sprache dsb:Italšćina dv:އިޓަލީ el:Ιταλική γλώσσα eml:Itagliàn en:Italian language eo:Itala lingvo 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new:इटालियानो nl:Italiaans (taal) nn:Italiensk no:Italiensk oc:Italian os:Италиаг æвзаг pa:ਇਤਾਲਵੀ ਭਾਸ਼ਾ pcd:Italien (Langue) pih:Italiian pl:Język włoski pms:Lenga italian-a pnb:اطالوی pt:Língua italiana qu:Italya simi rm:Lingua taliana ro:Limba italiană roa-rup:Limba italichescã ru:Итальянский язык sa:इतालवी भाषा sc:Limba italiana scn:Lingua taliana sco:Italian leid se:Itáliagiella sh:Italijanski jezik simple:Italian language sk:Taliančina sl:Italijanščina so:Af-Taliyaani sq:Gjuha italiane sr:Италијански језик stq:Italienisk su:Basa Italia sv:Italienska sw:Kiitalia szl:Italsko godka ta:இத்தாலிய மொழி tg:Забони итолиявӣ th:ภาษาอิตาลี tl:Wikang Italyano tpi:Tok Itali tr:İtalyanca tt:Итальян теле ty:Reo ’Itāria udm:Итальян кыл ug:ئىتاليان تىلى uk:Італійська мова ur:اطالوی زبان vec:Łengua itałiana vep:Italijan kel' vi:Tiếng Ý war:Initalyano xmf:იტალიური ნინა yi:איטאליעניש zh:意大利语 zh-min-nan:Italia-gí zh-yue:意大利話 zu:IsiTaliya 1 p 85 19 4 14 20 26 14 人生ゲーム(じんせいゲーム、The Game of Life)は、1960年にアメリカMilton Bradley社(現ハズブロ)から発売された、ボードゲームである。\n\n -1 div 12 1 0 0 3 0 4 人生ゲーム日本版 -1 hr 0 0 0 0 0 0 0 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 概要 1 p 119 26 2 17 30 37 16 原型は1860年ごろ、米国マサチューセッツ州・スプリングフィールドで印刷業を営むミルトン・ブラッドリー (en:Milton Bradley) という24歳の若者によって考案された「The Checkered Game of Life」。 1 p 109 20 6 24 24 0 12 日本版は、1968年、株式会社タカラ(現タカラトミー)から発売された。タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は1000万個を超える。「人生ゲーム」はタカラトミーの日本に於ける登録商標(第919585号)である。 1 p 225 30 13 89 68 0 20 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。\nボードゲームとしての人生ゲーム以外にも、携帯ゲームとして発売された「人生ゲームキャンディ」シリーズもある。また、オンラインでも遊べたり、携帯電話のゲームとしても配信されている。 -1 h2 13 0 0 1 10 0 0 人生ゲームのバリエーション 1 p 92 18 5 32 20 0 10 人生ゲームは、マスにその時代を反映させたものや、企業やキャラクターのタイアップなど種類が多い。1989年(平成元年)に発売された「平成版」は、シリーズ化されるほどの人気商品となった。\n -1 div 1 0 0 0 0 0 1 1 p 17 0 3 1 0 4 5 現行商品は、6代目、GO!GO!。 -1 dl 6 0 0 0 0 0 1 地域限定版 -1 ul 62 0 1 18 15 0 6 白馬版人生ゲーム めざせ白馬マイスター!\n 通常のタイプに白馬版のプレートを被せる物であり、発案者は地元の高校生と言われる -1 dl 8 0 0 1 3 0 1 私の人生ゲーム 1 ul 135 8 5 33 19 9 15 私の人生ゲーム for Bridal\n 2008年4月から、自分の人生を反映させる事ができるオーダーメイド版人生ゲーム「私の人生ゲーム」を発売している[4]。公式サイトで申し込み購入後に各項目を登録する方式になっている。価格は36,750円。2010年2月に販売終了。 1 dl 14 0 0 0 11 0 1 ポケット人生ゲームシリーズ 1 ul 222 27 0 2 143 6 26 ポケット人生ゲームRD ポケット人生ゲームB&B ポケット人生ゲームEX ポケット人生ゲーム レインボードリーム ハローキティ ポケット人生ゲーム ポケットモンスターアドバンスジェネレーション人生ゲームポケット ポケット人生ゲーム リロ アンド スティッチ 名探偵コナン&金田一少年の事件簿 人生ゲームポケット ポケット人生ゲーム(6代目のポケット版) ポケット人生ゲーム極辛 ストレス社会 ポケット人生ゲームドリームチェンジ -1 dl 6 0 0 0 3 0 1 コラボ企画 1 p 65 8 3 19 14 0 5 週刊少年ジャンプと人生ゲームが共に発売から30周年を記念に作られた人生ゲーム。\nジャンプの懸賞であった為、現在は入手困難である。\n 1 ul 60 35 0 7 13 8 5 こちら葛飾区亀有公園前派出所一攫千金人生ゲーム 世紀末リーダー伝たけし!人生ゲーム ONE PIECE宝探し人生ゲーム -1 dl 11 6 0 0 0 0 1 明治安田生命共同企画 1 ul 33 0 0 1 14 2 5 人生ゲーム 明治安田生命オリジナル版 - 人生ゲームEXがベース -1 dl 10 5 0 0 3 0 1 江崎グリコ共同企画 1 p 27 0 2 4 10 0 3 グリコとの共同企画で、イオングループ店舗で限定発売。\n 1 ul 102 0 0 19 29 5 15 グリコ版おかしの人生ゲームBOX(2004年版) 2005年グリコ版 おかしの人生ゲーム 奪われたグリコの財宝を取り戻せ! 2006年グリコ版 おかしの人生ゲーム 〜グリコNo.1アスリート決定戦!!〜 -1 h2 14 0 0 1 9 0 0 ボードゲーム以外の人生ゲーム -1 h3 15 0 0 0 9 0 2 テレビ番組 クイズ!人生ゲーム 1 p 104 24 5 22 22 17 14 近年では、コンピュータゲーム版を発売しているほか、BSデジタル放送のBS朝日では、毎週土曜日午後8時から双方向対応クイズ番組として、『クイズ!人生ゲーム 〜THE QUIZ OF LIFE〜』を放送していた。 1 p 114 16 7 40 14 2 11 司会は、人生案内人役として進行している宇梶剛士と、助手役として進行している野村真季アナウンサーの2人である。また、2005年の夏から『メメプロ』から、甲斐美花と山岸愛梨の2人が参加。この2人はUN(うん)ガールズとして進行した。 1 p 79 13 6 28 8 0 8 同番組は、同年の11月をもっていったん終了するが、2006年にはリターンズとして、以前の放送の一部を再放送し、同年春で完全終了。後番組は『みんなの脳ドリル』。 -1 p 8 0 0 0 0 0 4 {{前後番組}} -1 h3 6 0 0 0 6 0 0 カードゲーム 1 p 40 9 2 7 21 0 3 モンスターメーカー系ケードゲームの人気で、平成版を中心にカードゲーム化された。\n 1 ul 199 0 2 23 89 10 20 人生カードゲーム カードをめくると、時代が見える。 人生ゲーム平成版カードゲーム 時代が生んだ究極のゲーム 人生ゲーム平成版IIカードゲーム バブル時代の総決算ゲーム 人生ゲーム平成版IIIカードゲーム ポスト・バブルを生き残れ!! 人生ゲーム平成版IVカードゲーム 人生2度ある!?リストラゲーム 人生ゲーム平成版Vカードゲーム 見えない時代の生き方改造ゲーム 人生ゲーム平成版VIカードゲーム -1 h3 9 0 0 0 9 0 0 コンピュータゲーム -1 dl 5 0 0 0 0 0 1 遊々人生 1 p 74 16 5 12 24 2 8 PCエンジン用のソフト。人生ゲーム(3代目)をテレビゲーム用にアレンジした内容。1988年4月22日に、ハドソンより発売された。定価は4,500円。 -1 dl 11 0 0 0 3 5 1 SUPER人生ゲーム 1 p 16 9 1 1 12 0 2 スーパーファミコン用のソフト。\n -1 ul 35 32 0 0 9 15 3 SUPER人生ゲーム SUPER人生ゲーム2 SUPER人生ゲーム3 -1 dl 8 0 0 0 3 2 1 DX人生ゲーム 1 p 35 15 2 6 18 2 5 プレイステーション用のソフト。「II」まではセガサターン用にも発売。\n 1 ul 48 43 0 0 15 18 5 DX人生ゲーム DX人生ゲームII DX人生ゲームIII DX人生ゲームIV DX人生ゲームV -1 dl 8 0 0 0 3 2 1 EX人生ゲーム 1 p 17 10 1 1 12 0 2 プレイステーション2用のソフト。\n -1 ul 18 16 0 0 6 6 2 EX人生ゲーム EX人生ゲームII -1 dl 13 0 0 4 6 0 1 クイズだらけの人生ゲーム 1 p 16 0 1 1 12 0 2 プレイステーション用のソフト。\n 1 ul 30 28 0 8 12 0 3 クイズだらけの人生ゲーム 第二回!クイズだらけの人生ゲーム -1 dl 10 0 0 3 3 0 1 さくま式人生ゲーム 1 p 44 6 2 14 15 0 3 プレイステーション用のソフト。人生ゲーム30周年記念にさくまあきらを招いて製作された。\n -1 ul 10 9 0 3 3 0 1 さくま式人生ゲーム -1 dl 10 0 0 1 3 0 1 お仕事式人生ゲーム 1 p 102 8 5 43 21 0 10 プレイステーション用のソフト。上記の「さくま式」の続編的な扱いで、さくまあきら・土居孝幸・宮路一昭の三人が製作に携わっている。ただし、この三人のネームバリューを前面に押し出した宣伝などは行われなかった。\n -1 ul 17 16 0 4 3 0 2 お仕事式人生ゲーム めざせ職業王 -1 dl 13 0 0 0 3 7 1 SPECIAL人生ゲーム 1 p 30 13 2 0 16 0 2 ニンテンドーゲームキューブ用ゲーム。2003年5月1日発売。 -1 dl 8 0 0 0 3 2 1 人生ゲームDS 1 p 15 8 1 1 9 2 2 ニンテンドーDS用のソフト。\n 1 ul 175 0 7 30 57 7 26 人生ゲームDS(2006年6月27日、アトラス) 人生ゲームQ DS 昭和のデキゴト&平成のデキゴト(共に2007年12月27日、タカラトミー) - ターンが終了するたびに昭和・平成のクイズが出題され、正解するとパラメーターがアップする。 人生ゲームDS(2009年12月3日、タカラトミー) - アトラス版と同名であるが、単なるリメイクではない。 -1 dl 9 0 0 0 3 3 1 人生ゲームWii 1 p 10 3 1 1 3 3 2 Wii用のソフト。\n 1 ul 160 12 4 14 54 16 26 人生ゲームWii - イメージキャラクターに森三中を起用。Miiのモデルにもなっている。 人生ゲームWii EX 人生ゲーム - Wiiウェア。『EX』の機能縮小版(15ターンで終了)。 人生ゲーム ハッピーファミリー(2010年11月11日) 人生ゲーム ハッピーファミリーご当地ネタ増量仕上げ(2011年9月1日) -1 h4 7 0 0 0 3 0 0 液晶携帯ゲーム -1 ul 33 0 0 0 11 0 6 液晶携帯人生ゲーム 人生ゲームプチ (2008年)-歩数計タイプ -1 dl 11 0 0 0 8 0 1 人生ゲームキャンディ 1 p 331 5 17 140 85 0 24 携帯液晶ゲームとして2005年に発売され、のちに追加要素を増やした人生ゲームキャンディ120%も発売された。ボードゲームの人生ゲームが、複数人数で遊ぶゲームだったのに対して、基本的に1人用の育成タイプのゲームである。(通信機能により、他人のものと交流は可能。)「1週間で人生を体験しちゃお」をコンセプトに、女性向けとして作られている。ルーレットによって運命が決まるという人生ゲームらしさはあるものの、キャラクターを育てるという点において、既存の人生ゲームよりもたまごっちに近いゲームといえる。\n形は5.5センチほどの円形で、ボールキーチェーンがついている。カラーバリエーションが多く、いずれもキャンディの味を思わせる名前がついており、カラフルなものになっている。 1 ul 316 5 0 1 231 0 37 人生ゲームキャンディ\n 人生ゲームキャンディ オレンジフロート 人生ゲームキャンディ メロンクリームソーダ 人生ゲームキャンディ バニラミルク 人生ゲームキャンディ ストロベリージャム 人生ゲームキャンディ オーシャンアイス 人生ゲームキャンディ トロピカルソーダ 人生ゲームキャンディ マンゴジュレ 人生ゲームキャンディ ピーチクリーム 人生ゲームキャンディ ポップチップバニラ(トイザらス限定カラー) 人生ゲームキャンディ120%\n 人生ゲームキャンディ120% ピーチトルネード 人生ゲームキャンディ120% シンデレラアイス 人生ゲームキャンディ120% アセロラバンチ 人生ゲームキャンディ120% ブルーベリーボンボン -1 h4 6 0 0 0 6 0 0 メダルゲーム -1 ul 14 0 0 0 10 0 2 人生ゲーム バブルタワーズ 1 dl 13 0 2 0 7 0 3 セガ発売。プッシャー機。 -1 ul 26 0 0 0 15 0 6 メダルーキー『人生ゲーム ジャンジャン大富豪!!』 -1 dl 42 4 3 5 22 0 4 アトラスより発売。シングルプッシャータイプのメダルゲーム。2006年4月より稼動。 -1 h4 8 0 0 0 8 0 0 オンラインゲーム 1 p 11 0 1 2 3 0 2 両作とも公式ゲーム。\n -1 ul 31 0 0 0 11 12 4 人生ゲームオンライン 人生ゲーム BATTLE ONLINE 1 dl 24 0 1 3 4 0 2 2005年12月21日よりオープンβ版が開始。 -1 ul 14 7 0 0 3 7 2 ZATHURA×人生ゲーム 1 dl 30 0 3 1 9 0 4 2005年12月7日、映画コラボゲーム。現在はサイト終了。 -1 h4 5 0 0 0 3 0 0 携帯アプリ 1 ul 225 0 0 17 76 28 32 人生ゲーム平成版 人生ゲームBB 人生ゲームクイズ編 人生ゲームM&A 人生ゲーム昭和おもひで劇場 ZATHURA×人生ゲーム(映画コラボゲーム) とんでも!!人生ゲーム 人生ゲーム大統領になろう! 人生ゲーム 人生ゲームロイヤルセレブ 人生ゲームRD 人生ゲーム初代復刻版 おしごと発見!人生ゲーム 人生ゲーム旅情編 人生ゲーム恋愛編 人生ゲーム心霊の館 人生ゲーム-果汁刑事vsマンゴマンボ団- Disney Edition 人生ゲーム -1 p 3 0 1 0 0 0 2 、他\n -1 ul 15 0 0 0 3 7 3 人生ゲーム for GREE 1 dl 39 4 2 5 8 4 3 GREEから発売の携帯電話用ソーシャルゲーム。2010年8月10日より開始。 -1 h3 5 0 0 0 5 0 0 カレンダー 1 ul 60 0 0 1 29 4 8 毎日エンジョイカレンダー 人生ゲーム2008(壁掛けタイプ) 毎日エンジョイカレンダー 人生ゲーム2008(mini) 1 dl 72 0 3 23 27 0 4 2007年10月1日発売。カレンダータイプのゲームで普通のカレンダーとしてもボードゲームとしても楽しむことができる。ミニサイズ版も発売された。 -1 h3 4 0 0 0 4 0 0 ジェンガ -1 ul 7 0 0 0 4 0 1 人生ジェンガ 1 dl 38 4 2 5 12 0 3 2010年9月30日発売。人生ゲームルーレットの要素を取り入れたジェンガ。 -1 h3 3 0 0 2 0 0 0 その他 1 ul 26 14 0 0 11 0 7 人生ゲームハイ&ロー・ゲーム(1980年) 1 dl 45 0 1 18 12 0 2 タカラが発売したボードゲームであるが番組内容に即しており人生ゲームとは全く異なった内容。 -1 ul 15 5 0 2 8 0 3 ケツメイシ『出会いのカケラ』 -1 dl 23 0 1 3 11 0 2 自動車ゴマの写真がジャケットデザインに起用。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 脚注 1 ol 334 131 11 77 65 33 45 ↑ 『キッチュ!夜マゲドンの奇蹟』のコーナー、学校の変な校則を元にしている。↑ M&Aが多くなった事を受けたもの。対象年齢は15歳以上と他版に比べて高めに設定されている。しかし、証券取引法違反の嫌疑がかけられたライブドアの堀江貴文元社長らが開発に関わっていたことなどから、2006年2月に製造中止となった。計10万個が出荷された。堀江容疑者ゲームオーバー 制作協力「人生ゲーム」出荷ストップ(読売新聞) Internet Archive↑ トイザらス限定版では、モノポリーディール又はモノポリー携帯版の体験版が付属。↑ タカラトミー、Webでオーダーメイドできる「私の人生ゲーム」 Internet Watch -1 h2 4 0 0 0 0 0 0 関連項目 -1 ul 16 15 0 0 15 0 4 ライフ・アズ・ア・ブラックマン -1 h2 5 0 0 0 3 0 0 外部リンク -1 ul 25 23 0 0 17 0 2 人生ゲーム公式サイト 人生ゲームバトルオンライン -1 p 25 0 0 7 0 11 7 {{DEFAULTSORT:しんせいけえむ}}\n\n -1 p 13 0 0 0 0 8 5 {{game-stub}} -1 p 11 0 0 0 0 6 5 {{Link FA}} -1 p 124 119 0 0 0 94 30 de:Spiel des Lebens (Spiel) en:The Game of Life fr:Destins (jeu) nl:Levensweg pt:Jogo da Vida (jogo) simple:The Game of Life -1 p 11 0 1 5 0 0 4 震度(しんど)とは、\n 1 ol 56 7 6 16 0 0 8 地震学において、地震の揺れの程度を示す指標。震度階級。 建築分野において、建築物の耐震性能を表す数値。耐震度。 -1 hr 0 0 0 0 0 0 0 -1 h2 9 0 0 4 0 0 0 地震学における震度 -1 p 1 0 0 0 0 0 1 1 div 46 12 2 9 7 4 6 2007年のペルー地震の震度分布図。改正メルカリ震度基準でUSGSの推定によるもの。 -1 b 2 0 0 0 0 0 0 震度 -1 a 2 0 0 0 0 0 0 地震 -1 b 4 0 0 0 0 0 0 震度階級 -1 b 3 0 0 0 0 0 0 震度階 -1 a 7 0 0 0 0 0 0 気象庁震度階級 -1 h3 7 0 0 1 0 0 0 震度階級の性質 1 p 58 9 2 23 12 0 4 断層破壊で放出されるエネルギーの大きさを表すマグニチュード(地震の規模)とは異なり、観測する地点によって全く異なる。 1 p 104 3 2 51 7 0 8 マグニチュードは地震そのものの強さを表し1つの地震につき1つの値をとる[1]一方、震度は地震動の強さを表し1つの地震につき場所によって多数の値をとる(後述の「最大震度」だけは1つに地震につき1つの値をとる)。 1 p 115 0 5 56 0 0 12 その地震によって各地で観測されたうち最大の震度を最大震度というが、「震度○の地震」という表現は、「その地震の最大震度」を意味する場合と、「その地震におけるある地点の震度」を意味する場合があり、混同される場合があるので注意を要する。 1 p 207 14 8 106 10 0 12 原則として震度は震源(震央)からの距離に逆比例し、震源から遠いほど震度は小さくなる。最大震度は震源の直上である震央付近となるのが普通で、震度の広がりを地図上に表すと同心円に近い分布をとる。ただ、主に地表付近の地盤の固さや地下のテクトニクス構造(プレートの重なりの構造)の違いが揺れを増幅させたり減衰させたりして、震度が周囲より大きくなった小さくなったりすることがある。これが顕著なところを異常震域ということがある。 1 p 173 8 8 80 8 2 8 厳密には震度は震央からの距離に逆比例し、震央からの距離が同じ地震でも、震源の深さが深くなるほど、同じ地点でも震度は小さくなる。なお、日本付近の約100kmより深い太平洋プレートで発生する深発地震の中には、プレートの重なりの原因の異常震域のため、震央で揺れが小さいにもかかわらず東北地方や関東地方の太平洋岸で揺れが大きくなる事例がしばしば見られる。 1 p 161 0 8 70 14 1 12 また、マグニチュード(規模)が大きな地震ほど、震度は大きい比例関係にある。震源が浅い直下の地震では、マグニチュードの値と気象庁震度階級(震度)の値がほぼ同じになることが経験的に知られていて、例えばM4程度の地震では最大震度が4となることが多い。ただし、地盤の固さ震源の深さなどにより最大震度は比例関係から外れる場合がある。 -1 h3 5 0 0 1 0 0 0 震度の計測 1 p 305 15 15 115 14 4 17 震度階級の計測方法は地域によって異なる。現在の日本では機械による計測値、いわゆる「計測震度」のみを使用し、人体感覚、被害の程度などは参考にしていない。デジタル震度計が観測した計測値を10段階に換算して気象庁が発表している。気象庁は地震や津波の早期周知のため、地震発生数分以内に報道機関などに震度を含めた地震情報を発表するが、震度3以上の場合は都道府県を数個に区切った地域ごとの震度、後に地点ごとの震度という形式で段階敵に詳細な情報が発表される。大規模な地震では、その後にデータを詳細に分析するなどして、推計震度分布図が作成される。またアメリカUSGSも、既知の地盤強度データをもとに推計震度分布を発表している。 1 p 112 0 7 47 3 0 7 日本以外の多くの地域では、加速度計や地震計といった機械のデータも参考にされるが、主に人体感覚や被害の程度などを総合的に勘案して、人が判定している。日本でも1996年9月までは、気象台の職員が、体感や被害などから判定していた。 1 p 167 12 7 65 0 0 10 なお、震度の定義は何度か改定されている場合が多く、研究資料として用いる場合の連続性が問題となる場合がある。気象庁震度階級を例にとれば、計測震度が導入された1996年10月1日の改正前後で大きなさがある。また気象庁震度階級は観測点数が1990年代 - 2000年代にかけて急増し観測密度が高くなったため、震度の統計には補正が必要である。 -1 h3 10 0 0 2 0 0 0 世界の様々な震度階級 1 p 67 0 5 35 0 0 5 震度階級に国際標準はなく、いくつかの指標があって、それぞれの国や地域が採用したものが使われている。以下、主な震度階級を時代順に述べる。 1 dl 862 161 33 123 99 296 117 ロッシ・フォレル震度階級(Rossi-Forel scale) 1873年成立。IからXの10段階。Xの適用範囲が広すぎること、ヨーロッパの生活を基にした基準であったため、ほかの震度階級が考案され、次第に使用されなくなった。 気象庁震度階級(JMA seismic intensity scale) 1884年に成立。現在は1996年に計測震度計によるものに改訂されたものが使用(2008年に解説表が改訂)されており、0から7の10段階(5と6が2段階ずつある)。日本で使用。 メルカリ震度階級(Mercalli intensity scale) 1902年に成立。後に何度か修正が重ねられ、メルカリ・カンニーニ・シーベルグ震度階級(Mercalli-Cancani-Sieberg intensity scale, MCS scale)が提案され、1931年にはメルカリ・ウッド・ニューマン震度階級(Mercalli-Wood-Neuman intensity scale, MWN scale)となり、現在では改正メルカリ震度階級(Modified Mercalli intensity scale, MMI scale)という。IからXIIの12段階。アメリカ、韓国などで使用。 メドヴェーデフ・シュポンホイアー・カルニク震度階級(Medvedev-Sponheuer-Kárník scale, MSK scale) 1964年成立。IからXIIの12段階。CIS諸国、東欧諸国、イスラエル、インドなどで使用。 地震烈度(China seismic intensity scale, CSIS) 1980年成立、1999年改正。IからXIIの12段階。中華人民共和国で使用。 ヨーロッパ震度階級(European macroseismic scale, EMS) ヨーロッパ地震学協会により1988年成立。現在は、1998年に修正されたEMS 98が使用されている。1から12までの12段階。ヨーロッパ各国で使用。 1 p 125 31 6 42 4 0 12 台湾では2000年から、1996年9月30日以前の旧気象庁震度階級を参考にした、0から7の8段階の震度階級が使用されている[2][3]。韓国では、気象庁震度階級を参考にしていたものが使用されていたが、2001年からメルカリ震度階級に変更された[4]。 1 p 52 0 2 25 4 0 2 各国の気象機関で公式に使用する震度を定めていないところも多いが、メルカリ震度階級を使用するところが多い。 1 p 78 0 4 42 0 0 4 それぞれの震度階級の間で、数式等を用いて対応関係を示すことは難しい。また同じ震度階級でも機関によって運用や基準が異なり、単純に同じとはみなせない場合がある。 -1 h2 10 0 0 4 0 0 0 建築分野における震度 1 p 156 10 10 66 0 4 19 {{main}}\n建築分野において、震度とは、建築物の耐震性能を表現する数値のひとつである。耐震度ともいう。これは、鉛直方向と水平方向それぞれの静的加重を建築物の自重で割った値で、それぞれの方向の静的加速度を重力加速度で割った値に等しい。「静的」とは、「一定振幅の振動」ではなく、一方向への加重ということである。 1 p 284 2 12 103 2 3 27 例えば、構造計算法の中の許容応力度計算(一次設計)では、地震力を決める係数のひとつとして標準せん断力係数Coを用いており、通常0.2、軟弱地盤における木造建築物では0.3とされていて、それぞれおよそ水平震度0.2、水平震度0.3に相当する(厳密には地域係数、振動特性係数など他の係数も関係するため若干異なる)。建築物の地上階の設計においては、1981年以前の法令で『水平震度』が規定されていたが現行法令上は標準せん断力係数がこれを代替している。地下階の設計においては法令上も『水平震度』が登場する。ここでいう水平震度0.2は水平加速度0.2g=約200ガルに相当する。 1 p 221 11 8 99 7 0 12 なお、耐震基準で定める一次設計水平震度0.2を超えると建物は損傷を起こし始め、二次設計水平震度1.0を超えると倒壊が始まるとされる。こう考えると1000ガル程度の地震で建物が倒壊するように聞こえるが、実際の地震では最大加速度は一瞬にしか現れないので、通常はこの数倍の最大加速度の地震に耐えることができる。ただし、卓越周期(その建物を揺らした地震動の周期をスペクトルで表した時に大きな値をとる周期)が固有振動周期に近い地震動ではこの限りでない。 1 p 247 14 9 84 10 21 25 このように建物の損傷・倒壊等は、加速度よりも、地震動の加速度と継続時間の積で表される速度(最大加速度に対応するのは最大速度)に比例する傾向がある。建物被害との相関性がより高い指標としてSI(Spectral Intensity)が知られているが、これは固有周期0.1 - 2.5秒・減衰定数20%の構造物に作用する速度応答スペクトル[5]の平均値により定義されており、単位は速度カインを用いる。ただし、固有周期2.5秒を超えるような長周期地震動はSI値の定義外のため、被害との相関性が低くなる。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 脚注 -1 p 10 0 0 0 3 0 5 {{脚注ヘルプ}}\n -1 h3 2 0 0 0 0 0 0 注釈 1 ol 337 121 9 78 20 40 44 ↑ 研究機関等により異なる場合もあるが、概ね近い値となる。↑ 地震百問 何謂震度? 台湾中央気象局↑ TIPS FOR EARTHQUAKE PREPAREDNESS AND RESPONSE 台湾中央気象局(英語)↑ 研究速報 福岡県西方沖の地震の韓国を含めた震度分布 石川有三、日本地震学会 ニュースレター↑ 建物を揺らす地面の地震動を速度の周期分布で表現したのが速度表面スペクトルである。これに対し、地震動に呼応して建物自体が揺れる振動を速度の周期分布で表現したのが速度応答スペクトルである。一般的に前者よりも後者の方が大きな速度値をとり、またピーク周期も異なるため、建物被害を考える上では後者の方が重要。 -1 h3 2 0 0 0 0 0 0 出典 1 ol 337 121 9 78 20 40 44 ↑ 研究機関等により異なる場合もあるが、概ね近い値となる。↑ 地震百問 何謂震度? 台湾中央気象局↑ TIPS FOR EARTHQUAKE PREPAREDNESS AND RESPONSE 台湾中央気象局(英語)↑ 研究速報 福岡県西方沖の地震の韓国を含めた震度分布 石川有三、日本地震学会 ニュースレター↑ 建物を揺らす地面の地震動を速度の周期分布で表現したのが速度表面スペクトルである。これに対し、地震動に呼応して建物自体が揺れる振動を速度の周期分布で表現したのが速度応答スペクトルである。一般的に前者よりも後者の方が大きな速度値をとり、またピーク周期も異なるため、建物被害を考える上では後者の方が重要。 -1 h2 5 0 0 0 3 0 0 外部リンク 1 ul 118 89 1 19 3 27 19 気象庁 | 震度の階級、JMA Seismic Intensity Scale 表層地盤のゆれやすさ全国マップ(内閣府) 社団法人日本地震学会:なゐふる:vol.9(日本における震度の歴史) 震度の歴史と求め方 岐阜大学地震工学研究室 -1 p 36 0 0 3 0 21 12 {{Earthquake}}\n{{DEFAULTSORT:しんと}}\n\n -1 p 156 149 0 0 0 95 33 bg:Магнитуд de:Magnitude (Erdbeben) en:Seismic scale eo:Magnitudo (tertremo) he:סולם סייסמי it:Scala sismica nds:Magnitude (Seismologie) ta:நிலநடுக்க அளவீடு -1 p 34 0 0 6 0 7 15 {{出典の明記}}\n{{しんにょう}}\n{{Infobox 作家}} 1 p 174 50 9 36 16 6 38 司馬 {{JIS2004フォント}}太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に{{JIS2004フォント}}(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 1 p 133 43 6 49 6 0 20 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。 -1 hr 0 0 0 0 0 0 0 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 経歴 -1 h3 4 0 0 2 0 0 0 生い立ち 1 p 166 60 8 37 11 6 28 1923年(大正12年)8月7日、大阪府大阪市浪速区西神田町(現:塩草)に、薬局を経営する父・福田是定(薬剤師)、母・直枝の次男として生まれた。兄がいたが2歳で早世し、姉、妹が一人ずついる。乳児脚気のために3歳まで奈良県北{{JIS2004フォント}}城郡當麻町(現・{{JIS90フォント}}城市)の母の実家に里子に出されていた。 1 p 166 20 11 74 1 0 16 1930年(昭和5年)、大阪市難波塩草尋常小学校(現・大阪市立塩草小学校)に入学。性格は明るかったが、学校嫌いで、悪童でもあったようである。母の実家の周りには古墳が多く、土器のかけらや石鏃などを拾い集めていた。また、当時の少年たちには特別ではなかったのであるが、大陸の馬賊に憧れていた。後に戦車隊の小隊長となる事でこの夢は結実した。 1 p 395 24 17 186 8 0 29 1936年(昭和11年)、私立上宮中学校に進学。入学後の成績は300名中でビリに近く本人も驚いたらしいが、慌てて勉強をしたら二学期には上位20位に入ったという。井伏鱒二の『岩田君のクロ』に感銘を受ける[1]。3年生から松坂屋の横の御蔵跡町の図書館に通うようになり、大阪外国語学校卒業まで本を乱読するようになる。古今東西のあらゆる分野の書物を読破し、終いには釣りや将棋などの本まで読んだという。阿倍野のデパートでは吉川英治の宮本武蔵全集を立ち読みで読破した。いつも立ち読みばかりするので頭にきた売り場の主任が「うちは図書館やあらへん!」と文句を言うと、「そのうちここらの本をぎょうさん買うたりますから…」と言ったそうである。また、半ば趣味として山登りを好み、大阪周辺の名山は大抵踏破している。高等学校への受験に際して、家計の都合で私立学校への進学は許されず官立のみと父親から釘を刺されていた。 1 p 554 59 30 215 14 0 53 1940年(昭和15年)に旧制大阪高校、翌年には旧制弘前高校を受験するも不合格。1942年(昭和17年)4月に旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在は大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学。入学時に校内食堂で上級生が新入生に催す歓迎会では、上級生が木刀、竹刀を振り回し下駄を踏み鳴らして『こらーっ!』と怒鳴りながら入り、訓辞や軍歌指導を行なった。その際に司馬青年は見事ながまの油を一席やったが、これは彼の性格の明るさを表す一端である。当時の学生の大半がそうであったように語学が嫌いで、早稲田大学の中国文学に鞍替えしようかと考えた事もあった。しかし読書は依然として好み、ロシア文学や、司馬遷の『史記』を愛読。2年上に庄野潤三(英語学科)、1年上に陳舜臣(印度語学科)、同期に赤尾兜子(中国語学科)らの「創作グループ」がいたが、その輪には加われなかった。当時の司馬青年は、色白でふっくらした童顔であったが、旧制高校に憧れて下駄履きで登下校したという。教室へは「オース、オース」と声をかけながら入り、生徒間で人気があり人が集まる中心にいた。天性の性格の明るさと、博学博識からの雄弁によろう。授業でもよく発言をした。食事はよく食べ朝飯を5杯おかわりするのが常であった。「中庸の徳」が座右の銘であったという。 1 p 778 68 33 351 15 0 65 1943年(昭和18年)11月に、学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業(翌年9月に正式卒業となる)。兵庫県加東郡河合村(現:小野市)青野が原の戦車第十九連隊に入隊した。軍隊内ではかなり珍しい「俳句の会」を興し、集合の合図には一番遅れて来た。翌44年4月に、満州四平の四平陸軍戦車学校に入校し、12月に卒業。戦車学校では文系であった為に機械に弱く、ある時に戦車を動かそうとあちこちいじっているとエンジンが起動したが、中から白煙が出て「助けてくれー」と悲鳴が聞こえたので駆けつけるとコードが戦車に触れ電流が流れていた。手斧でコードを断ち切り事なきを得たという。戦車学校で成績の良かった者は内地へそして外地へ転属したが、成績の悪かった者はそのまま大陸に配属になったが、これが生死を分けた。卒業後、満州牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌45年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。その時にある若い将校が、アメリカ軍(連合国軍)が東京に攻撃に来た場合に、栃木から東京に移動して攻撃を行うという作戦に「市民と兵士が混乱します。そういった場合どうすればいいのでしょうか。」と、大本営からきた東北人の少佐参謀に聞いた所、参謀は「轢き殺してゆく」といい[2](ただし、この問答の存在自体に当事者から疑念が呈されている[3])、22歳だった司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」との疑問を持ち、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐している。佐野での敗戦の体験が、その後の作家生活の原点にあったと考えられる。復員後は直ちに図書館通いを再開する。 -1 h3 4 0 0 0 0 0 0 記者時代 1 p 319 46 16 119 0 0 28 戦地からの復員後、生野区猪飼野東五丁目8にあった在日朝鮮人経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社。1946年(昭和21年)、ふたたび大竹とともに新日本新聞京都本社に入社。同僚に青木幸次郎がいた[4]。このころから30歳を過ぎたら小説を書こうと考えるようになる。大学、宗教記事を書いたが、社は2年後に倒産、産経新聞社から「外語大卒だから英語くらい出来るだろう」と誘われ、英語が全く出来ないにもかかわらず「出来ます」と応じて京都支局に入る。入社して1か月も経たない1948年(昭和23年)6月28日午後、福井地震が発生し、その日のうちに福井の取材に行く。同年11月歌人川田順の失踪事件を取材、「老いらくの恋」という見出しを付け流行語になる。 1 p 255 24 11 88 9 3 22 翌年大阪本社に異動。1950年(昭和25年)には金閣寺放火事件の記事を書いた。このころ京都の寺社周り・京都大学を担当し、その結果京都の密教寺院で不思議な僧侶らと出会ったり、石山合戦のときの本願寺側の兵糧方の子孫の和菓子屋と話したり、京都大学で桑原武夫、貝塚茂樹らの京都学派の学者たちに取材したりするなど、後年の歴史小説やエッセイを執筆する種となる出会いがあった。このことは後年の自筆の回想記(多く『司馬{{JIS2004フォント}}太郎が考えたこと』に所収)に記されている。その後文化部長、出版局次長を勤めた。 1 p 129 10 9 50 0 0 15 同年に最初の結婚。1952年(昭和27年)に長男が誕生するが、1954年(昭和29年)に離婚。長男は実家の福田家に預けられ祖父母に養育される。この結婚及び、誕生した息子のことは、公的には一切公表されず、司馬にとって「隠したい過去」であったのではと、思われる。 1 p 417 37 19 126 19 6 66 1955年(昭和30年)、『名言随筆・サラリーマン』(六月社)を発表。この作品は本名で発表したが、このほかにも「饅頭伝来記」など数作本名で発表した作品があるといわれる。さらに、当時親しくなっていた成田有恒(寺内大吉)に勧められて小説を書くようになる。1956年(昭和31年)5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募(「司馬{{JIS2004フォント}}太郎」の名で投稿)、海音寺潮五郎の絶賛を受け同賞を受賞し、出世作となる。また、寺内とともに雑誌『近代説話』を創刊した。『近代説話』『面白倶楽部』『小説倶楽部』に作品を発表し続け、1958年(昭和33年)7月、「司馬{{JIS2004フォント}}太郎」としての初めての著書『白い歓喜天』が出版される。当時は山田風太郎と並ぶ、伝奇小説の担い手として注目され、本格歴史小説の大家になろうとは予想だにされていなかった。さらに「梟のいる都城」(のち「梟の城」に改題)の連載を開始。 1 p 148 31 9 26 12 0 22 1959年(昭和34年)1月、同じ産経新聞記者の松見みどりと再婚。12月に大阪市西区西長堀のアパートに転居。同じアパートに南海ホークス時代の野村克也がいた。『大坂侍』『梟の城』を発表。1960年(昭和35年)、『梟の城』で第42回直木賞を受賞し、翌年に産経新聞社を退職し、作家生活に入る[5] 。 -1 h3 5 0 0 0 0 0 0 小説家時代 1 p 381 65 19 123 6 0 64 初期は直木賞を受賞した『梟の城』や『大坂侍』『風の武士』『風神の門』などの長編や、短編「ペルシャの幻術師」「果心居士の幻術」「飛び加藤」など、時代・伝奇小説が多い。推理小説も書き、『豚と薔薇』『古寺炎上』があるがあまり得意ではなくこの2作にとどまっている。だが、1962年(昭和37年)より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年(昭和38年)より『国盗り物語』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を本格化させた。この辺りの作品より、作者自ら、作中で随筆風に折込解説する手法が完成している。1964年(昭和39年)には、終の棲家となる布施市下小阪(現在の東大阪市)に転居した。のちに「猥雑な土地でなければ住む気がしない」と記している。1966年(昭和41年)、菊池寛賞を受ける。その後も『国盗り物語』に続き、『新史太閤記』『関ヶ原』『城塞』の戦国四部作を上梓した。 1 p 384 82 19 133 4 0 53 1971年(昭和46年)から、紀行随筆『街道をゆく』を週刊朝日で連載開始した。1972年(昭和47年)には明治の群像を描いた『坂の上の雲』の産経新聞での連載が終了。また、幕末を扱った『世に棲む日日』で吉川英治文学賞。初期のころから示していた密教的なものへの関心は『空海の風景』(日本芸術院賞)に結実されている。「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。1970年代中期から80年代にかけ、明治初期の『翔ぶが如く』や、『胡蝶の夢』、江戸後期の『菜の花の沖』、戦国期の『箱根の坂』などを著し、清朝興隆の時代を題材にした『韃靼疾風録』を最後に小説執筆を止める。「街道をゆく」や、月一回連載のエッセイ『風塵抄』、『この国のかたち』に絞り、日本とは、日本人とは何かを問うた文明批評を行った。 1 p 262 56 12 99 5 0 29 1981年(昭和56年)に日本芸術院会員、1991年(平成3年)には文化功労者となり、1993年(平成5年)に文化勲章を受章した。このころから腰に痛みを覚えるようになる。坐骨神経痛と思われていたが、実際は直接の死因となる腹部大動脈瘤であった。それでも「街道を行く 台湾紀行」取材の折に、当時台北で台湾総統だった李登輝との会談「場所の悲哀」[6]を行ったり、「街道を行く」取材で青森の三内丸山遺跡を訪れるなど精力的な活動を続ける。また、晩年にはノモンハン事件の作品化を構想していたといわれているが、着手されずに終わった[7]。 1 p 305 21 17 73 16 6 45 1996年(平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の2月10日深夜に、吐血して倒れ国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院、12日の午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去。72歳だった。同日は「菜の花忌」と呼ばれている。死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であった。絶筆「濃尾参州記」は未完となった。親族・関係者による密葬を経て、3月10日に大阪市内のホテルで「司馬{{JIS2004フォント}}太郎さんを送る会」が行われ、約3,000人が参列した。法名は、「{{JIS2004フォント}}望院釋淨定」。政府から従三位を追賜された。 1 p 282 64 9 53 50 21 40 翌年に司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念財団が発足し、司馬{{JIS2004フォント}}太郎賞が創設された。2001年(平成13年)に、東大阪市の自宅隣に司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念館が開館。司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念室がある姫路文学館では毎年8月7日の生誕日に、ゆかりのゲストを迎えて「司馬{{JIS2004フォント}}太郎メモリアル・デー」を開催している。また、NHK大河ドラマ原作となった作品数は最も多く、「21世紀スペシャル大河ドラマ」(後にNHKスペシャルドラマと変更)と称する「坂の上の雲」を含めると7作品である。 -1 h2 3 0 0 0 0 0 0 作家評 1 p 267 4 9 74 20 12 33 この項目で書く評価的記述については主に下記の参考文献欄に拠る。しかしこれら文献の他にも、司馬の著作物に付与された解説、新聞、雑誌での批評記事、更に『週刊朝日』が没後発表した『未公開講演録 愛蔵版 司馬{{JIS2004フォント}}太郎が語る日本』シリーズに続けて連載された「司馬{{JIS2004フォント}}太郎からの手紙」シリーズや「週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎」などの宣伝記事、PHP文庫の『文蔵』や文藝春秋の企画記事など、出版社による企画広告やその流れを汲む記事などで様々に司馬の作品、司馬の価値観は語られてきた。 -1 h3 2 0 0 0 0 0 0 作風 1 p 69 11 2 32 4 0 4 歴史小説家としてはスコット以来の人物中心主義の流れを汲んでおり、直接には司馬遷における『史記』列伝の形式を範にした作家とみることができる。 1 p 360 2 12 175 18 0 18 特徴としては、常に登場人物や主人公に対して好意的であり、作者が好意を持つ人物しか取りあげない。それによって作者が主人公に対して持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとることが多い。また歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を素描し、やや突き放した客観的な描写によって乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せる手法は、それまでの日本の歴史小説の伝統から見れば異質なものであり、その作品が与えた影響は大きい。「余談だが……」の言葉に代表されるように、物語とは直接関係ないエピソードや司馬自身の経験談(登場人物の子孫とのやりとりや訪れた土地の素描)などを適度に物語内にちりばめていく随筆のような手法も司馬小説の特徴の一つであり、そこに魅了されている読者も多い。 1 p 87 13 4 23 4 3 14 評論家の川本三郎からは「一平二太郎」(藤沢周平、司馬{{JIS2004フォント}}太郎、池波正太郎)の一人として、「大人の日本人男子」の嗜みとして読むべき作家と評されている。 1 p 82 24 4 31 15 0 11 そのユニークな文体は、のちに、渡部直己や清水義範のパステーシュの対象になったり[8][9]、あるいは酒見賢一『後宮小説』のようにリスペクトした作品が現れたりした。 1 p 479 26 16 249 17 0 43 作品中の人物の内面描写にはそれほど深入りしないため“浅薄である”とされたり、長編では主題が破綻しているとの批判がある。しかし多くの登場人物を一筆書きにしながら物語を展開してゆく司馬の手法においては、ある程度仕方のないことという反論もなされる。特に内面描写を避けることは、人間を外部から把握し単純化(典型化)して示す18世紀ヨーロッパ小説や漢籍の史書の影響によるところが大きく、「典型としての人間」か「典型からそれようとする内面描写か」という問題は、小説の流儀の問題(18世紀型小説か、19世紀型小説か)であると捉える見方もある。長編の構成力が弱いことも指摘され、前述した「余談だが…」といった言葉で話が脇道にそれることもあるように、たとえば丸谷才一の「全体の五分の三あたりのところから雑になる」「最初の伏線が後半で生かされない」という評がある。ただし、こうした「雑さ」「とりとめのなさ」が磨かれた結果、様々な人物が次々に登場し、ゴシップを振りまいては消えてゆくというグランド・ホテル形式の小説として成功していると評される作品もある(例:『ひとびとの跫音』)。 1 p 79 0 3 35 0 0 3 後年は小説から遠ざかり随想や批評を主としたが、抽象的な思索や哲学性よりも具体的な歴史評論や文明批評を主にし、合理的思考を掲げて考証を行ったところに特徴がある。 -1 h3 9 0 0 1 4 0 0 人物イメージの影響 1 p 118 20 8 40 16 0 10 司馬の作品はベストセラーかつロングセラーとなり、また多くが映像化された。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛、福澤諭吉らは多くの作品に重複して登場しており、現代の日本人が持つ「彼等の人物イメージ」は司馬の小説に大きく影響をうけている。 1 p 227 24 12 82 9 0 21 また、幕末の越後長岡藩家老・河井継之助のような本来はマイナーな人物が、一般の人々の間に人気が高いのは、あきらかに司馬の小説の影響であり、他にも、江戸時代の商人・高田屋嘉兵衛や、幕末の軍政家・大村益次郎、幕末明治の政治家・江藤新平、新撰組の創設者・清河八郎等々も、司馬小説以外ではあまり描かれない人物にもかかわらず、司馬小説の影響で知名度の高い人物となった。人々は「歴史的人物としての彼等」ではなく「司馬作品の登場人物としての彼等」を愛しているとも言える。 -1 h3 3 0 0 0 0 0 0 歴史観 -1 h4 6 0 0 2 0 0 0 司馬の考え方 1 p 375 33 20 196 4 0 22 司馬の歴史観を考える上で無視できない問題は、合理主義への信頼である。第二次世界大戦における日本のありかたに対する不信から小説の筆をとりはじめた、という述懐からもわかるように、司馬の考え方は狂信的なもの、非論理的なもの、非合理なもの、神秘主義、いたずらに形而上学的なもの、前近代的な発想、神がかり主義、左右双方の極端な思想、理論にあわせて現実を解釈して切り取ろうとするなどの帝国陸軍的な発想の対極に位置するものであり、司馬はこれらを否定的に書くか、エッセイなどで否定している。司馬は近代合理主義がこれらに対局するものと考え、その体現者こそが司馬の愛する人物像であった。例えば『燃えよ剣』では最後まで尊王と佐幕の思想的対立に悩みつづけた近藤勇ではなく、徹底して有能な実務家であったとされる土方歳三をとりあげたのは、こうした理由によるものであると言われる。 -1 h4 8 0 0 1 0 0 0 司馬作品の時代性 -1 p 525 19 19 227 16 0 27 司馬の歴史観についての議論を見る上で時代性に関しての視点は重要であろう。思想的な流れとしては司馬が小説執筆に専念した当時は、一般に第二次世界大戦の反動から日本の近代史全体に否定的な見解が強かった。そのため第二次世界大戦を痛烈に批判する論者の多い中で、その他の近代史に光をあてたことを評価する向きもある。また、司馬の登場以前、日本の歴史小説はいわゆる史伝ものか大衆娯楽を重んじた講談風の作品が中心だった。しかし司馬は資料収集を重視し、出版社や司馬に肯定的な立場の評論家等は高い実証性を持った歴史小説の形式を確立したことを採り上げ、上質な娯楽として読むに足る物として、知識人(および知識人に憧れを持つ読者)が高く評価してきた。実際には同時代に実証性を重視した小説家が存在しなかった訳ではなく、例えば吉村昭、大岡昇平などは実証性の高い小説やノンフィクションを発表し、それらの多くは「暗い昭和」を対象とし、歴史研究者が二次資料として揚げることもある[10]。司馬が採り上げた時代についての歴史研究やノンフィクションは当時から多数存在していた(司馬は小説執筆にあたり膨大な資料を集めた事で知られるが、その事自体が既存の成果物が多数存在していた傍証とも言える)。 1 p 275 9 12 135 3 0 14 しかし、一般への人気なども相まって、実証性の高さから司馬の小説が小説作品としての枠を超えている、と評価する雰囲気が熱心な支持者により形作られてきた。司馬の影響を受け、自著で司馬の考え方を引用する者、司馬に憧れて小説家や歴史研究者となったことを述べている例も多く、高い視聴率で知られた大河ドラマにも複数回採り上げられている。そのため、司馬は新しい視点と斬新な描写で彼自身の歴史観を作って日本社会に広く影響を与えた国民的作家であると言われている。死後においても司馬の影響力は大きく、礼賛する余り持論を司馬と絡めて預言者のように扱われることもある[11]。 1 p 131 0 8 63 0 0 14 一方で司馬の作り上げた歴史観は、しばしば「司馬史観」として論争の対象となってきた(ただし、司馬自身は「史観」という考え方自体に、そもそも、否定的な見解を述べており、この論争は、司馬の作品をどう解釈するかと言う論争の側面が強い)。批判側の観点は幾つかに分けられる。 -1 h4 7 0 0 2 0 0 0 歴史観への批判 1 p 448 27 19 199 4 0 33 歴史観は必然的に思想的な性格を持つ物だが、この点からの批判としては近代合理主義への偏重が一定の限界を与えていたという指摘が代表的である。例えば、同時代の指導者の観点からの把握に重きを置き、民衆の観点や通時的な観点からの把握を怠っている(歴史の切り取りかたの問題)、明治期の戦争を肯定的に描きながら昭和期の戦争を否定的に描いている(いわゆる「明るい明治」と「暗い昭和」の分断)、各時期代の描写が前記の偏向(例えば昭和期の日本軍に対する憎悪)により客観的な分析が欠如している、合理主義への解釈を巡って対立がある、などである。また、司馬が称揚した合理主義自体も西洋哲学の中で発展を遂げる過程で解釈の多様化が起こり、帝国主義、ナチズム、共産主義、或いは過度の資本主義などと関係づけ、その行き過ぎに対して批判がなされることも多い[12]。司馬に限らず提唱者の唱える『合理主義』という言葉がどのような考えを指し、提唱者が言葉通り実践しているかについては慎重に議論する必要があり、批判の中で触れられる事もある。 1 p 100 10 4 48 1 0 9 但し、「明るい明治」は司馬自身の作家としての研究・調査による合理主義からくるもの、「暗い昭和」は自身が徴兵された自己の体験による実証主義によるものであり、作家として個人の主観が影響するのは当然である。 1 p 256 58 12 102 3 0 25 また、歴史教科書問題などの歴史認識をめぐる論争において、自由主義史観派が司馬の歴史観に依拠していると主張していることから、左右を問わず、自由主義史観を批判する立場から上記の諸点を強く批判することがある。中村政則、佐高信などの革新派の流れを汲む者からは「戦争、植民地支配を美化・正当化している」と批判され、西部邁、小林よしのりなどの一部の保守派(主に反米保守派)からは「大東亜戦争を否定する自虐史観」「ポチ保守の史観」と批判される[13]。思想的、史観的な面からの見直しについては新聞でも紹介した例がある[14]。 1 p 126 4 6 62 15 0 11 他に、司馬が、東アジアあるいはヨーロッパの文化的マイノリティに一貫して関心を持ち続けてきたことを評価しながら、彼らを作品中にとりあげたり論じた際に、「彼らを文明化・支配した帝国側」の意味について深く分析せずにやりすごしている、という批判もある[15]。 1 h4 20 0 0 6 0 0 2 実証性(ないし創作的行為の混入)への批判 1 p 358 26 16 162 0 0 18 より学究的な立場からは実証性の面からも批判されることがある。特定の事実への重きを置いた記述に留まるならば一応は史実の範疇に留まるが、司馬の場合は実証性を謳っているにもかかわらず、小説の一部に創作した場面が存在する事、資料の誤読や資料批判の不徹底等による事実誤認などが問題点として批判者より指摘される(思想的批判と合せて書かれた場合、評論が評価の対象となった場合には歴史修正主義の亜種と批判される)。この立場の代表的論客は別宮暖朗、福井雄三などである。また、一坂太郎は司馬の価値観を基本的には否定してないが、実証性については検討を行っている。また、坂本龍馬の幕末維新史での過剰評価や、乃木希典に対する否定的な記述など、政治家以外の歴史上の人物に対する評価でも、司馬の小説によって一般に広まったと認識されている例がある。 1 p 80 0 3 49 0 0 3 作品中に出典を記さないことに対する批判もある。これは実証性を謳う姿勢に合致していない。すべてを根本資料から調べ上げたように錯覚を生じさせるような表現もみられる。 1 p 257 16 10 111 10 0 14 戦史研究者にも創作物の価値を認めつつ、特定個人の歴史観を事実であるかのように錯覚させる手法の危険性を指摘し、司馬と絡めて述べる者などがいる[16]。後年設定考証のレベルの高さを前面に売り出された一部の架空戦記ほどではないにせよ、真実性については同質の問題を抱えていると言える(なお、架空戦記のヒットメーカーとなり、代表的存在となった佐藤大輔は、作品内に司馬を登場させ、記述法の類似性や乃木等の歴史上の人物への否定的評価で司馬を髣髴とさせる表現があり、司馬の歴史観を継承した影響が高梨俊一などにより指摘されている)。 1 p 55 0 3 27 0 0 5 反論を行なう者は、司馬(ないし小説家)の社会的影響力については触れないか、受け手の問題であるとする場合が多い。 -1 h4 9 0 0 2 0 0 0 司馬の価値観の敷衍 1 p 101 4 3 48 0 0 9 司馬への批判に対して、「司馬史観」という名称は司馬自身が名付けたものではないという指摘がある。一方で出版社や司馬を好意的に評価する者までが「司馬史観」という言葉を敷衍させているという事実もある[17]。 1 p 299 8 15 120 31 0 26 また、「司馬は自身の著作を、"フィクションである"とはっきり言明している」ことを実証性の問題に対して持ち出されることがあるが、一方、司馬は晩年を中心に歴史評論的な性格の強いルポルタージュ、エッセイを多く発表し、加えて雑誌等でのインタビューにも応じ、新潮社から販売されているような講演活動も行い、新聞にも寄稿している。これらの著述物が蓄積され、司馬の歴史観・価値観は小説以外の手段でも読者に提供された。『街道をゆく』のように小説以外の作品が映像化された例もある。また小説以外の作品の幾つかも、小説同様に現在でも容易に入手が可能であり、雑誌のバックナンバーなどは公共図書館で閲覧出来る。 1 p 128 3 5 76 0 0 9 また、司馬に限ったことではないが、たとえ実証性の高さを売り物にしていたとしても、時事評論などは別として小説のような創作物については“歴史の真実を記述した史書”と考えることは適切とは(通常は)言えない。これは歴史学では基礎的な認識として教育されることである。 1 p 136 0 4 81 6 0 4 従って司馬史観という言葉を利用しているのは批判派だけではない。フィクションの内容を歴史の真実であるかのように読者が錯覚してしまうのは、それだけ司馬の作家としての手腕が優れていることの証明でもあるとも言えるが、上記のように批判側にとってはその錯覚させる手腕自体が問題となる。 1 p 108 0 6 57 0 0 6 このように、司馬に関する議論の場合には、受容の様態も対象となる。擁護派は司馬の言葉から教訓を汲み取ろうとする傾向があり、批判派は神格化を行っている者を信者のように捉えての批判は、司馬本人への賛否にかかわらずなされる。 -1 h2 5 0 0 0 1 0 1 人柄・逸話 1 ul 1796 202 91 790 143 4 157 話し上手・聞き上手として有名で「座談の名手」と呼ばれ、対談集を数多く出版した。交友関係も広く、池波正太郎をはじめ、桑原武夫、井上靖、梅棹忠夫、上田正昭、ドナルド・キーン、萩原延壽、貝塚茂樹・湯川秀樹兄弟など多岐にわたった。池波は小説家として共に駆け出しのころの親友であり、お互いに忙しくなってからは次第に疎遠になったそうだが、司馬は池波の「鬼平犯科帳」など愛読していたという。また、小説家としての初期に励ましを受けていたのは海音寺潮五郎で、海音寺の励ましが無ければ小説家として立っていたかどうか疑わしいと司馬は回想している。晩年は宮城谷昌光を高く評価し、宮城谷から送られてくる作品を読んで手紙などで励ましつづけ、没する間際には宮城谷に「どうしても会っておきたい」と述べて会談を行っている。またアニメ作家宮崎駿の作品、特に「ルパン三世 カリオストロの城」「となりのトトロ」を高く評価し、宮崎と対談も行っている。 直木賞選考委員だった際に、なんども候補になったSF作家・広瀬正の作品を、候補になるたびに高く評価したが、他の選考委員の賛成を得られず、授賞に至らなかった。後に早世した広瀬の作品集がまとめられた際には、『広瀬正・小説全集2 ツィス』の解説を書いた。直木賞選後の司馬の評に、どれほど広瀬を評価し、同席した他の選考者が呆れていたかが推察できる。一部抜粋で、「一読者として、一番面白かったのは、広瀬正氏の『マイナス・ゼロ』であった。SFには読み方が要る。頭から空想譚に騙まされる姿勢で読まねばならないが、それにしてもこの人の空想能力と空想構築の堅牢さにおどろいた」と評している。この一節は「マイナス・ゼロ」の帯広告にも用いられた。 芸術家・岡本太郎が万博協会から大阪万博プロデューサーへの就任を打診された時、岡本は司馬に万博プロデューサーを引きうけるべきか相談。司馬は「ぜひやったほうがいい。」と岡本を励ました。[18] 速読家としても知られ、ある友人と家で話していたとき、その友人がコーヒーを1杯飲み終わるうちに、会話しながらにもかかわらず、文庫本くらいの大きさの本1冊を読み終わっていたというエピソードがある。この時読んでいたのは小説の資料(当事者の日記など)である。 資料集めへの執念はすさまじく、一度に何千万円単位という巨費を投じて買い集めた。司馬が資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底したという逸話があった。当初は、軽トラックで乗り込み、古本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読購入し、関係者らと荷台に乗せていったという。『坂の上の雲』執筆に際しては、神田神保町の神田古書店街の古書店主らに依頼し、「日露戦争」という記述のある本を片っ端から買い集め、当時同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしが古書店に行っても資料がなかったという逸話も残る。 名字とその人の顔つきなどから、出身地や先祖を当てるという特技があり、たびたび周囲の人を驚かせた。 私生活の面では中村玉緒のファンで、そのお辞儀の美しさに見とれたという。舞台『竜馬がゆく』で、萬屋錦之介と共演した。また錦之介は竜馬を生涯の持ち役とした。 一方でスポーツにはあまり関心がなかったらしい。大阪市のアパート(西長堀アパート:現在で言えば最新の高層マンションのような高級物件であり、所謂下駄履きアパートではない)に住んでいた頃、当時の南海ホークスの主砲野村克也が同じアパートにいたが、野村の顔も名前も知らなかったので、昼過ぎに家を出て深夜に帰ってくる大男を胡乱な目で見ていたという。 執筆活動以外はごろ寝をしてテレビを見るくらいで、ゴルフやギャンブルといったようなものへの興味は生涯無く、バンダナ収集が唯一の趣味であった。外出の際は気に入ったバンダナを身につけていた。その多くは遺族が保存し、記念館で一部展示している。 古巣産経新聞社をはじめとするフジサンケイグループの鹿内家支配を「企業の私物化だ」と批判しており、羽佐間重彰(当時産経新聞社社長)・日枝久(当時フジテレビジョン社長、産経新聞社取締役)らによる鹿内宏明会長解任を喜び、羽佐間・日枝に色紙を贈ったという[19]。 元台湾総統の李登輝とは学徒出陣の同期であり、李が愛読者でもあったことから懇意となった。『台湾紀行』取材に際しては、総統時代の李と対談を行った。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 年譜 1 ul 1248 365 54 152 24 12 253 1923年(大正12年) - 8月7日、大阪市浪速区西神田に生まれる。 1930年(昭和5年) - 大阪市立難波塩草尋常小学校入学。 1936年(昭和11年) - 私立上宮中学校(現在の上宮高等学校)へ進学。 1940年(昭和15年) - 上宮中を卒業。 1941年(昭和16年) - 大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在の大阪大学外国語学部)蒙古語科入学。 1943年(昭和18年) - 学徒出陣のため大阪外国語学校を卒業。兵庫県加古郡(現在の加古川市)にあった戦車第19連隊に入営。 1944年(昭和19年) - 満州の戦車第1連隊に配属される。 1945年(昭和20年)\n 本土防衛のための第12方面軍第36軍戦車第1師団戦車第1連隊付小隊長として栃木県佐野市に配属され終戦を迎える。 新世界新聞に入社。 1946年(昭和21年) - 新日本新聞社に入社。京都支社に配属となる。 1948年(昭和23年)\n 2月、新日本新聞社倒産。 5月、産業経済新聞社入社、京都支局に配属となる。 6月、福井地震発生。新人ながら応援記者として福井に赴く。 1950年(昭和25年) - 最初の結婚。同年の金閣寺放火事件では住職等から犯行の動機をすっぱ抜く。 1952年(昭和27年) - 長男誕生。 1954年(昭和29年) - 離婚。長男は実家の福田家に預けられる。 1956年(昭和31年) - 大阪本社勤務の傍ら短編小説「ペルシャの幻術師」を講談社の懸賞に募集。第8回講談倶楽部賞を受賞し文壇にデビューする。 1959年(昭和34年) - 松見みどりと結婚。 1960年(昭和35年) - 『梟の城』にて第42回直木賞受賞。 1961年(昭和36年) - 産経新聞社退社。執筆活動に専念する。 1964年(昭和39年) - 現在、司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念館のある大阪府布施市下小阪(現在の東大阪市下小阪)に転居。 1966年(昭和41年) - 『竜馬がゆく』『国盗り物語』にて第14回菊池寛賞受賞。 1981年(昭和56年) - 日本芸術院会員となる。 1986年(昭和61年) - 財団法人大阪国際児童文学館理事長に就任( - 1990年)。 1991年(平成3年) - 文化功労者に選ばれる。 1993年(平成5年) - 文化勲章受章。 1996年(平成8年)\n 2月12日、腹部大動脈瘤破裂のため国立大阪病院にて死去。享年72。従三位に叙され銀杯一組を追賜される。忌日は生前好きだった菜の花に因み「菜の花忌」と呼ばれる。墓所は京都市東山区。 3月4日、東大阪市名誉市民となる。 11月1日、(財)司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念財団発足。 1998年(平成10年) - この年から、毎年菜の花忌に司馬{{JIS2004フォント}}太郎賞を贈賞。 2001年(平成13年) - 11月1日、司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念館が自宅隣接地に開館。 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 系譜 -1 dl 20 12 1 0 0 0 5 福田家(兵庫県姫路市、大阪府大阪市) -1 p 8 0 0 0 1 0 2 祖父・福田惣八 1 dl 225 42 10 102 0 0 25 惣八は兵庫県姫路市の浜寄りの郊外の広という村の出身で、そこに江戸時代のあいだずっと百姓をしていた家系に生まれた[20]。戦国のころは播州三木城にその先祖が籠城(ろうじょう)したということであるが、身分はわからない[21]。浄土真宗西本願寺の熱心な門徒で、三木城が落ちてから他の籠城兵ととも広村に落ち、そこで田地を耕した[21]。惣八の嫁(司馬遼太郎の祖母)は、広に近い高浜の人で是定(しじょう、司馬遼太郎の父親)を産んでほどなく亡くなった[22]。 1 dl 227 30 12 131 4 0 27 惣八が明治維新をむかえたのは18か19のときだった[23]。“百姓にも姓がつくそうな。”ということになり、当時村にいた惣八の一族たちは会合して申しあわせ、三木という姓にすることにした[23]。先祖が三木籠城(ろうじょう)したということでそうなったというのだが、そのころ惣八は親類中と喧嘩をしていて、親類の者から「おまえだけは別の姓にしろ」といわれた[23]。惣八は、無類の珠算ずきで、ついには和算までやりだし、ソロバンで開平開立を解いたりした[23]。 1 dl 139 31 9 73 0 0 20 明治維新後、かれはかれ自身のわずかな財産からすれば大相場を張り、すってんてんになってしまい、土地にいられなくなった[24]。夜逃げ同然で村を出、大阪へゆくべく飾磨の湊から船に乗った[24]。難波に店をもった[24]。かれは餅屋を開業した[24]。餅とおかきをつくった[24]。 -1 p 16 0 0 0 1 4 6 父・福田是定\n{{節stub}} -1 p 7 0 0 2 0 0 1 前妻との関係 1 dl 411 13 22 220 11 0 40 『噂の眞相』(1998年6月号)は、先妻との離婚の顛末について、司馬の父親・是定(記事では父親の名前は伏せている)の嫁いびりが原因としている。是定は、なかなか子を産まない司馬の先妻を「3年孕まずは猿と一緒」と非難し、子が生まれたあとも虐待は変わらなかった。出産後、母乳が出ないので薬局のミルクを使おうとすると、是定は「商品に手を出すな、欲しいなら買え」と6掛けで売りつけたという。先妻はストレスのあまり体調を崩し、離婚に追い込まれるが、是定は「うちの跡取りだ」と親権を主張して譲らず、我が子とも離ればなれにされてしまった。しかし司馬はこの間黙ってみているだけで、先妻に何を言われても「仕事が忙しいから」と取り合わなかったという。さらに、後年司馬がみどりとの再婚を迷うと、先妻に「お前が相手を見て決めてくれないか」と連絡して、二人のデート現場をこっそり観察させた。これには先妻も、完全に司馬との関係を絶つ決意をしたという。 1 p 7 0 0 2 0 0 1 長男との関係 1 dl 171 4 8 100 0 0 15 長男に対しても、前述のように司馬は手元に置いて育てなかった。長男は結婚するまで祖父母の元で暮らし、司馬の家に行くのは、是定にいわれて生活費を受け取りに行く時だけであった。そのため長男は「司馬の息子」と呼ばれることを嫌ったが、司馬はそれを聞くと「最近、あいつが俺の息子といわれるのを嫌ってるみたいなんや」と不思議そうな顔をしたという[25]。 -1 p 9 0 0 0 0 4 4 {{節stub}} -1 pre 42 0 0 0 0 0 24   \n           (司馬遼太郎)\n福田惣八━━福田是定━━福田定一━━男\n -1 h2 3 0 0 0 0 0 0 受賞歴 1 ul 428 162 4 37 8 3 92 1956年 - 「ペルシャの幻術師」で第8回講談倶楽部賞 1960年 - 『梟の城』で第42回直木賞 1966年 - 『国盗り物語』『竜馬がゆく』で第14回菊池寛賞 1967年 - 大阪芸術賞、『殉死』で毎日芸術賞 1968年 - 『歴史を紀行する』で第30回文藝春秋読者賞 1970年 - 『世に棲む日日』で第6回吉川英治文学賞 1976年 - 第32回日本芸術院賞恩賜賞文芸部門 1981年 - 『ひとびとの跫音』で第33回読売文学賞小説賞 1982年 - 朝日賞 1984年 - 『街道をゆく 南蛮のみち』で第16回日本文学大賞学芸部門 1985年 - NHK放送文化賞 1986年 - 『ロシアについて』で第38回読売文学賞随筆紀行賞 1988年 - 第14回明治村賞、『韃靼疾風録』で第15回大佛次郎賞 1991年 - 文化功労者選出 1993年 - 文化勲章受章 1996年 - 東大阪市名誉市民、第1回井原西鶴賞、従三位・銀杯一組を没時追賜 -1 h2 5 0 0 0 1 0 1 全集・選集 1 ul 292 0 13 18 32 18 59 司馬{{JIS2004フォント}}太郎全集(全68巻、文藝春秋)、3期に分け刊行 司馬{{JIS2004フォント}}太郎短編全集(全12巻、文藝春秋) 司馬{{JIS2004フォント}}太郎が考えたこと(全15巻、新潮社、のち新潮文庫)、エッセイ集成 司馬{{JIS2004フォント}}太郎対話選集(全5巻、文藝春秋、のち文春文庫) 司馬{{JIS2004フォント}}太郎 歴史のなかの邂逅(全4巻、中央公論新社、8分冊で中公文庫、2010年9月~11年4月)、人物エッセイ集 司馬{{JIS2004フォント}}太郎全講演 1964-1995(朝日新聞社全3巻、のち朝日文庫全5巻) -1 h2 6 0 0 0 0 0 0 長編作品一覧 1 ul 573 173 25 49 1 0 133 梟の城(1959年9月、講談社) - 石川五右衛門 上方武士道(1960年11月、中央公論社) - ※没後『花咲ける上方武士道』に改題し再刊。 風の武士(1961年5月、講談社) - 江戸時代末期、伊賀同心の末裔、柘植信吾を主人公にした伝奇小説 戦雲の夢(1961年8月、講談社) - 長宗我部盛親 風神の門(1962年12月、新潮社) - 真田十勇士の霧隠才蔵 竜馬がゆく(1963 - 66年、文藝春秋新社) - 坂本龍馬、中岡慎太郎 燃えよ剣(1964年3月、文藝春秋新社) - 土方歳三 尻啖え孫市(1964年12月、講談社) - 安土桃山時代、雑賀鉄砲衆を率い織田信長に抗した雑賀孫市を描く 功名が辻(1965年6 - 7月、文藝春秋新社) - 山内一豊とその妻千代 城をとる話(1965年10月、光文社) 国盗り物語(1965年11月 - 66年7月、新潮社) - 斉藤道三、織田信長、明智光秀 北斗の人(1966年11月、講談社) - 千葉周作 俄 浪華遊侠伝(1966年7月、講談社) - 幕末の侠客明石屋万吉をはじめ大阪庶民からの視線で幕末を描く 関ヶ原(1966年10 - 12月、新潮社) - 島左近、石田三成、徳川家康 十一番目の志士(1967年2月、文藝春秋) 最後の将軍(1967年3月、文藝春秋) - 徳川慶喜  1 dl 54 0 0 6 0 37 9 ※Juliette Winters Carpenterによる英訳『The Last Shogun』がある) -1 ul 898 276 51 53 15 28 232 殉死(1967年11月、文藝春秋) - 乃木希典 夏草の賦(1968年1月、文藝春秋) - 長宗我部元親 新史太閤記(1968年1月、新潮社) - 豊臣秀吉 義経(1968年5月、文藝春秋) - 源義経 峠(1968年10月、新潮社) - 河井継之助 宮本武蔵(1968年、朝日新聞社『日本剣客伝』収録) - 宮本武蔵 坂の上の雲(1969年4月 - 1972年9月、文藝春秋) - 秋山好古、秋山真之兄弟、正岡子規、日露戦争、バルチック艦隊 妖怪(1969年5月、講談社) - 日野富子、足利義政 大盗禅師(1969年7月、文藝春秋) - 由比正雪、鄭成功。大濤禅師の幕府転覆・明帝国再興の企みを、主人公浦安仙八を中心に描く幻想小説。 歳月(1969年11月、講談社) - 幕末〜明治維新、江藤新平 世に棲む日日(1971年5 - 7月、文藝春秋) - 幕末〜明治維新、高杉晋作、吉田松陰 城塞(1971 - 72年、新潮社) - 江戸時代、大坂冬の陣、大坂夏の陣を描く、主人公は小幡景憲 花神(1972年8月、新潮社) - 幕末〜明治維新、大村益次郎、福沢諭吉、緒方洪庵 覇王の家(1973年10月、新潮社) - 徳川家康 播磨灘物語(1975年6 - 8月、講談社) - 黒田如水 翔ぶが如く(1975 - 76年、文藝春秋) - 明治維新〜西南戦争、西郷隆盛 空海の風景(1975年10月、中央公論社) - 空海 胡蝶の夢(1979年7 - 10月、新潮社) - 幕末、司馬凌海、松本良順、関寛斎 項羽と劉邦(連載時は「漢の風 楚の雨」、1980年6月 - 8月、新潮社) ひとびとの跫音(1981年7月、中央公論社) - 正岡忠三郎 菜の花の沖(1982年6 - 11月、文藝春秋) - 高田屋嘉兵衛 箱根の坂(1984年4 - 6月、講談社) - 北条早雲 韃靼疾風録(1987年10 - 11月、中央公論社) - ヌルハチ、ホンタイジほか、※Joshua Fogelによる英訳『The Tatar Whirlwind』がある。明から清への興亡を、平戸藩出身の桂庄助の目を通し描く。 -1 h2 9 0 0 0 0 0 2 短編作品集(一部) -1 p 26 0 2 5 2 0 8 ※は、後に(他社・改編も含め)文庫・単行判で再刊。\n -1 ul 27 0 1 1 0 0 8 白い歓喜天 (1958年7月、凡凡社) - 処女出版 -1 dl 34 0 0 4 4 0 10 「ペルシャの幻術師」「戈壁の匈奴」 「白い歓喜天」「兜率天の巡礼」 -1 ul 38 0 3 4 0 0 9 大阪侍(1959年12月、東方社)- ※数作入れ替えし、講談社文庫で再刊。 -1 dl 44 0 0 6 0 0 13 「和州長者」「泥棒名人」「盗賊と間者」「法駕籠のご寮人さん」「大坂侍」「難波村の仇討」 -1 ul 27 0 1 1 0 0 5 最後の伊賀者(1960年11月、文藝春秋新社)※同上 -1 dl 38 0 0 3 0 0 13 「外法仏」「下請忍者」「伊賀者」「最後の伊賀者」「蘆雪を殺す」「天明絵師」 -1 ul 30 0 1 1 0 0 7 果心居士の幻術(1961年3月、新潮社)- ※新潮文庫再刊 -1 dl 39 0 0 3 0 0 13 「八咫烏」「朱盗」「牛黄加持」「果心居士の幻術」「飛び加藤」「壬生狂言の夜」 -1 ul 54 0 4 8 0 0 15 おお、大砲 (1961年10月、中央公論社)- ※「言い触らし団右衛門」(中公文庫)で、数作入れ替え再刊。 -1 dl 43 0 0 9 0 0 11 「言い触らし団右衛門」「岩見重太郎の系図」「売ろう物語」「雑賀の舟鉄砲」「おお大砲」 -1 ul 57 0 3 6 0 0 15 一夜官女(1962年3月、東方社)- ※中公文庫(初版1984年)で、「女は遊べ物語」「京の剣客」を追加し再刊。 -1 dl 29 0 0 5 0 0 10 「一夜官女」「雨おんな」「侍大将の胸毛」「伊賀の四鬼」  -1 ul 34 0 1 0 0 0 7 真説宮本武蔵(1962年11月、文藝春秋新社)- ※講談社文庫再刊 -1 dl 41 4 0 4 0 0 13 「真説宮本武蔵」「越後の刀」「京の剣客」「千葉周作」「奇妙な剣客」「上総の剣客」 -1 ul 20 0 1 0 0 0 4 花房助兵衛(1963年10月、桃源社) -1 dl 47 0 1 5 0 0 16 「伊賀者」「奇妙な剣客」「花房助兵衛」「軍師二人」「割って、城を」「千葉周作」「上総の剣客」 -1 ul 29 2 1 0 0 0 7 幕末(1963年12月、文藝春秋新社)- ※文春文庫再刊 -1 dl 56 0 0 12 0 0 15 「桜田門外の変」「奇妙なり八郎」「花町屋の襲撃」「土佐の夜雨」「逃げの小五郎」「死んでも死なぬ」「浪華城焼討」 -1 ul 103 25 6 9 1 0 19 新選組血風録(1964年4月、中央公論社)- ※幕末の新選組を描いた連作短編15作品、角川・中公文庫で再刊 鬼謀の人(1964年7月、新潮社) - 表題は大村益次郎、河井継之助、岡田以蔵ら、幕末の人物群像 -1 dl 33 0 0 2 0 0 11 「鬼謀の人」「英雄児」「慶応長崎事件」「人斬り以蔵」「喧嘩草雲」 -1 ul 68 22 5 6 0 0 13 酔って候(1965年3月、文藝春秋新社) - ※幕末期の大名4名:山内容堂、島津久光、伊達宗城、鍋島閑叟を描いた伝記短編、文春文庫再刊 -1 dl 27 0 0 7 0 0 9 「酔って候」「きつね馬」「伊達の黒船」「肥前の妖怪」 -1 ul 116 13 5 14 1 0 23 豊臣家の人々(1967年12月、中央公論社)※ - 安土桃山時代、豊臣秀吉につながる10名を描いた連作短編、角川・中公文庫再刊 王城の護衛者(1968年5月、講談社)- ※同名の講談社文庫(初版1971年)で「人斬り以蔵」を追加。 -1 dl 26 0 0 3 0 0 9 「加茂の水」「王城の護衛者」「英雄児」「鬼謀の人」 -1 ul 76 4 2 10 0 0 15 喧嘩草雲(1968年5月、東方社) - 表題は幕末の画家田崎草雲の数奇な人生を描く 故郷忘じがたく候(1968年10月、文藝春秋)※ - 文春文庫再刊 -1 dl 21 0 0 5 0 0 7 「故郷忘じがたく候」「斬殺」「胡桃に酒」 -1 ul 32 5 1 3 0 0 6 人斬り以蔵 (1969年12月、新潮文庫)※文庫での新版作品集 -1 dl 59 0 2 12 0 0 19 「鬼謀の人」「人斬り以蔵」「割って、城を」「おお、大砲」「言い触らし団右衛門」「大夫殿坂」「美濃浪人」「売ろう物語」 -1 ul 20 0 1 1 0 0 4 馬上少年過ぐ(1970年8月、新潮社) -1 dl 70 0 2 7 0 0 22 「馬上少年過ぐ」「重庵の転々」「城の怪」「貂の皮」 ※ 同名の新潮文庫(初版1978年)で、「英雄児」「慶応長崎事件」「喧嘩草雲」を追加。 -1 ul 95 4 5 4 4 3 22 司馬{{JIS2004フォント}}太郎短篇総集(1971年、講談社)- 解説尾崎秀樹、50篇余りを所収。 木曜島の夜会(1977年、文藝春秋)※- 最後期(執筆時期)の短編集。文春文庫再刊 -1 dl 35 5 0 5 0 0 9 「木曜島の夜会」「有隣は悪形にて」「大楽源太郎の生死」「小室某覚書」 -1 ul 33 0 1 6 0 0 7 おれは権現(1982年、講談社文庫) - 以下は文庫での新版再刊 -1 dl 50 0 0 8 0 0 15 「愛染明王」「おれは権現」「助兵衛物語」「覚兵衛物語」「信九郎物語」「若江堤の霧」「けろりの道頓」 -1 ul 18 0 1 0 0 0 4 軍師二人(1985年、講談社文庫) -1 dl 57 0 1 11 0 0 18 「雑賀の舟鉄砲」「女は遊べ物語」「嬖女守り」「雨おんな」「一夜官女」「侍大将の胸毛」「割って、城を」「軍師二人」 -1 ul 34 0 1 1 8 0 7 アームストロング砲(1988年、講談社文庫) - 幕末期の群像短編 -1 dl 72 9 0 8 8 0 19 「薩摩浄福寺党」「倉敷の若旦那」「アームストロング砲」「理心流異聞」「侠客万助珍談」「斬ってはみたが」「五条陣屋」「壬生狂言の夜」「大夫殿坂」 -1 ul 29 0 1 2 4 0 7 ペルシャの幻術師(2001年、文春文庫) - 初の文庫化 -1 dl 26 5 0 3 4 0 7 「兜率天の巡礼」「ペルシャの幻術師」「戈壁の匈奴」 -1 ul 35 0 1 7 0 0 7 侍はこわい(2005年、光文社文庫) - 著者生前には未収録の作品集 -1 dl 62 0 0 16 0 0 17 「権平五千石」「豪傑と小壺」「忍者四貫目の死」「狐斬り」「ただいま十六歳」「侍はこわい」「みょうが斎の武術」「庄兵衛稲荷」 -1 ul 49 0 3 4 0 0 11 花妖譚(2009年、文春文庫) - 新聞記者時代に、本名「福田定一」名義で書いた短編幻想小説集。 -1 dl 71 2 0 8 10 0 24 「森の美少年」「チューリップの城主」「黒色の牡丹」「烏江の月 謡曲『項羽』より」「匂い沼」「睡蓮」「菊の典侍」「白椿」「サフラン」「蒙古桜」 -1 h3 2 0 0 0 0 0 0 戯曲 -1 ul 76 0 3 1 4 3 17 花の館(1970年、中央公論社) 鬼灯(1975年12月、中央公論社) 司馬{{JIS2004フォント}}太郎 全舞台(2002年8月、中央公論新社) -1 h3 9 0 0 0 1 0 1 単行本・全集未所収 -1 ul 38 0 1 2 0 0 7 魔女の時間(「主婦の友」1961年12月号〜1962年11月号。全12話) 1 dl 39 0 2 8 7 2 6 司馬には珍しい、BG(ビジネスガール)を女性主人公とした現代小説。 推理小説 1 ul 29 4 3 3 0 0 8 豚と薔薇(1960年、東方社)、「兜率天の巡礼」を併収。 1 dl 129 0 7 74 0 0 10 作者は東方社版のあとがきで、この作品は自らすすんで書いたものではないと明言し、またこれから後は推理小説は書かないつもりだとも記している。全集に未収録の上に、文庫化もされていない。これらの経緯から見ても「古寺炎上」と共に、復刊の可能性は今後も低いと思われる。 1 ul 54 4 5 13 0 0 11 古寺炎上(1962年、角川書店:新書版)、「豚と薔薇」を併収。なお双方とも、今日相当な古書価となっている。 -1 h2 10 0 0 2 2 0 2 紀行・随筆・対談など -1 div 1 0 0 0 0 0 1 -1 h3 21 0 0 1 6 0 3 発行部数ランキング(単行本・文庫本の合計) -1 ul 30 4 0 0 4 1 7 出典:『ダカーポ』2005年9月7日号(567号)p.65 1 dl 144 0 8 45 0 0 26 ※数年を経たので、上位作品は更に数百万部、それ以外でも数十万部が上乗せされていると考えられる。 一例に、『讀賣新聞』2010年1月1日朝刊第2面広告欄では、『竜馬がゆく』は「2400万部」、『坂の上の雲』は「1900万部」となっている。 『燃えよ剣』の帯に「390万部突破」の文字あり。 -1 div 1 0 0 0 0 0 1 -1 h2 4 0 0 0 0 0 0 関連作品 -1 h3 5 0 0 0 0 0 0 映像化作品 -1 h4 2 0 0 0 0 0 0 映画 -1 ul 285 57 16 20 0 0 74 恋をするより得をしろ(1961年、監督:春原政久、原作「十日の菊」) 忍者秘帖 梟の城(1963年、監督:工藤栄一) 新選組血風録 近藤勇(1963年、監督:小沢茂弘) 暗殺(1964年、監督:篠田正浩、原作「幕末」) 風の武士(1964年、監督:加藤泰) 城取り(1965年、監督:舛田利雄) 泥棒番付(1966年、監督:池広一夫、原作「盗賊と間者」) 燃えよ剣(1966年、監督:市村泰一) 尻啖え孫市(1969年、監督:三隅研次) 忍びの衆(1970年、監督:森一生、原作「伊賀の四鬼」) 梟の城(1999年、監督:篠田正浩) 御法度(1999年、監督:大島渚) -1 h4 6 0 0 0 6 0 0 テレビドラマ -1 ul 795 292 6 35 92 54 165 新選組血風録 新選組血風録(連続ドラマ 1965年 制作NET 主演:栗塚旭、島田順司) 新選組血風録(連続ドラマ 1998年 テレビ朝日 主演:渡哲也) 竜馬がゆく NHK大河ドラマ(1968年 NHK 主演:北大路欣也) 12時間超ワイド時代劇(1982年 テレビ東京 主演:萬屋錦之介) TBS大型時代劇スペシャル(1997年 TBS 主演:上川隆也) 新春ワイド時代劇(2004年 テレビ東京開局40周年記念 主演:市川染五郎) 燃えよ剣(連続ドラマ 1970年 製作:NET(現:テレビ朝日)・東映京都テレビプロ 主演:栗塚旭) 国盗り物語 大河ドラマ(1973年 NHK大河ドラマ 主演:平幹二朗) 新春ワイド時代劇(2005年 テレビ東京 主演:北大路欣也) 花神(1977年 NHK大河ドラマ 主演:中村梅之助) 風神の門(1980年 NHK水曜時代劇 主演:三浦浩一) 関ヶ原(1981年 TBS開局30周年記念番組 主演:森繁久彌) 翔ぶが如く(1990年 NHK大河ドラマ 主演:西田敏行) 徳川慶喜(1998年 NHK大河ドラマ 原作「最後の将軍 徳川慶喜」 主演:本木雅弘) けろりの道頓、秀吉と女を争った男(1999年) 蒼天の夢〜松陰と晋作・新世紀への挑戦〜(2000年 NHK正月時代劇 原作「世に棲む日日 主演:中村橋之助) 菜の花の沖(2000年 NHKドラマ 主演:竹中直人) 功名が辻 戦国夫婦物語『功名が辻』(1966年 NET(現:テレビ朝日) 主演:団令子、三橋達也) 司馬{{JIS2004フォント}}太郎の功名が辻(1997年 テレビ朝日・東映 主演:檀ふみ、宅麻伸) 大河ドラマ(2006年 NHK大河ドラマ 主演:仲間由紀恵) 坂の上の雲(NHKスペシャルドラマ 2009年秋〜2011年秋 主演:本木雅弘、阿部寛、香川照之) -1 h3 6 0 0 0 6 0 0 ドキュメント -1 ul 72 0 2 4 15 12 16 司馬{{JIS2004フォント}}太郎 雑談「昭和」への道(全12巻、NHKビデオ) NHKスペシャル 太郎の国の物語(全4巻、NHKビデオ) 1 dl 23 0 1 8 0 3 3 他にもNHK番組を中心に多数出演している。 -1 ul 53 0 2 6 15 9 10 NHKスペシャル 街道をゆく(全13巻、NHKビデオ) 新シリーズ 街道をゆく(全24巻、NHKビデオ) -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 脚注 -1 p 21 0 0 0 3 7 9 {{脚注ヘルプ}}\n{{reflist}} -1 h2 14 0 0 1 1 0 3 評伝・作品評論(文献の一部) -1 ul 636 191 13 23 44 71 135 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎書誌研究文献目録』(松本勝久/文献目録・諸資料等研究会編、勉誠出版、2004年) ISBN 4585060529 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎事典』(志村有弘編、勉誠出版、2007年) ISBN 4585060588 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎全作品大事典』(新人物往来社編、1998年、新版2010年) ISBN 4404039360 『別冊太陽 司馬{{JIS2004フォント}}太郎 新しい日本の発見』(平凡社、2007年) ISBN 4582921302 『レクイエム司馬{{JIS2004フォント}}太郎』(三浦浩編、講談社、1996年) ISBN 4062082993 福田みどり 『司馬さんは夢の中(1〜3)』 (中央公論新社 ISBN 4120035735 ほか/ 中公文庫 ISBN 4122050235 ほか) 『別冊中央公論 司馬{{JIS2004フォント}}太郎の跫(あし)音』(1996年/ 中公文庫、1998年)ISBN 4122030323 『文藝春秋編 司馬{{JIS2004フォント}}太郎の世界』(1996年/ 文春文庫、1999年)ISBN 4167217694 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎について 裸眼の思索者』(1998年、日本放送出版協会 ISBN 4140803584/ 新装版 NHKライブラリー、2006年 ISBN 4140842024) -1 dl 31 12 5 0 0 0 6 尾崎秀樹、山折哲雄、松原正毅、磯貝勝太郎、道川文夫、田中直毅 -1 ul 66 23 1 4 4 7 15 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の流儀 その人と文学』 (2001年、日本放送出版協会 ISBN 4140805846)  -1 dl 24 19 3 0 0 0 5 小山内美江子、鶴見俊輔、出久根達郎、半藤一利  -1 ul 283 68 6 10 20 31 58 梅棹忠夫編著、『日本の未来へ 司馬{{JIS2004フォント}}太郎との対話』(2000年、日本放送出版協会 ISBN 4140805021) 磯貝勝太郎 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の風音』(2001年、日本放送出版協会 ISBN 4140805854) 北山章之助 『手掘り司馬{{JIS2004フォント}}太郎』(2003年 日本放送出版協会、2006年、角川文庫)ISBN 4043825013 ― 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎 旅路の鈴』(2006年、日本放送出版協会) ISBN 4140811412-NHKスタッフによる回想 -1 ul 601 109 13 44 41 44 149 松本健一 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の「場所」 増補』(2007年、ちくま文庫)ISBN 4480423117 初版 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎 歴史は文学の華なり、と。』(1996年、小沢書店) 旧版 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎 司馬文学の「場所」』(2001年、学研M文庫)\n 松本健一 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎を読む』(2005年 めるくまーる、2009年 新潮文庫) ISBN 4101287317  松本健一 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎が発見した日本 「街道をゆく」を読み解く』(2006年 朝日新聞出版、2009年 朝日文庫) 松本健一 『三島由紀夫と司馬{{JIS2004フォント}}太郎 -「美しい日本」をめぐる激突』 (2010年、新潮選書) 関川夏央 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の「かたち」』(2000年 文藝春秋、2003年 文春文庫)\n ― 『「坂の上の雲」と日本人』(2006年 文藝春秋、2009年 文春文庫) ISBN 4167519127 尾崎秀樹 『歴史の中の地図 司馬{{JIS2004フォント}}太郎の世界』(1991年 文春文庫、初版 文藝春秋、1975年) 谷沢永一 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の遺言』(2005年、ビジネス社)ISBN 4828412174 -1 dl 52 0 1 2 9 3 13 谷沢永一 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎エッセンス』(1996年、文春文庫)ほか類著多数 -1 ul 167 26 5 7 12 13 40 向井敏 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の歳月』(2000年、文藝春秋) 上記三者は、「全集」版の解説担当者 山野博史 『発掘司馬{{JIS2004フォント}}太郎』(2001年、文藝春秋)  和田宏 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎という人』(2004年、文春新書)ISBN 4166604090、文春の編集担当者 -1 dl 28 0 1 8 0 0 4 以下は(歴史観などの)各立場で、作品の受容と評論を紹介 -1 ul 261 20 5 14 33 15 65 斎藤慎爾責任編集 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の世紀 保存版』(1996年、朝日出版社) 『群像日本の作家30 司馬{{JIS2004フォント}}太郎』(1998年、小学館)  『夢ムック 総特集司馬{{JIS2004フォント}}太郎の「戦国時代」』(河出書房新社、2001年) 『夢ムック 総特集司馬{{JIS2004フォント}}太郎 幕末・近代の歴史観』(河出書房新社、2002年) 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎がゆく—「知の巨人」が示した「良き日本」への道標』(2001年、プレジデント社) -1 dl 24 15 4 0 0 0 5 半藤一利、山折哲雄、童門冬二、吉岡忍、村松友視 -1 ul 2156 486 39 173 168 185 472 半藤一利 『清張さんと司馬さん』(2002年、日本放送出版協会、2005年、文春文庫)ISBN 4167483149 鴨下信一・磯田道史等との座談『司馬{{JIS2004フォント}}太郎リーダーの条件』(2009年、文春新書) 鷲田小弥太 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎を「活用」する!』(2010年、彩流社) 岬龍一郎 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎「日本国」への箴言』(2004年、本の森出版センター、旧版1996年) ISBN 4860970624 村井英雄 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎 日本を知る』(1997年、大巧社)ISBN 4924899216 三浦浩 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎とそのヒーロー』(1998年、大村書店)ISBN 4756310729 桂英史 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎をなぜ読むか』(1999年、新書館)ISBN 4403210678 一坂太郎 『「竜馬がゆく」読本』(1998年、世論時報社)ISBN 4915340422 中嶋誠 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎と丸山眞男』(1998年、現代書館)ISBN 4768467261 佐高信 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎と藤沢周平 「歴史と人間」をどう読むか』(1999年 光文社、2002年 同知恵の森文庫)ISBN 4334972233 中村政則 『近現代史をどう見るか 司馬史観を問う』 (1997年、岩波ブックレット)\n 『歴史と真実 いま日本の歴史を考える』(1997年、筑摩書房) 「歴史教科書問題とナショナリズム」の章で、「三、司馬{{JIS2004フォント}}太郎史観とは何か」と「四、司馬{{JIS2004フォント}}太郎の太平洋戦争観」 — 『「坂の上の雲」と司馬史観』 (2009年、岩波書店) ISBN 4000230298 成田龍一 『戦後思想家としての司馬{{JIS2004フォント}}太郎』(2009年、筑摩書房)ISBN 4480823646 — 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の幕末・明治 「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」』を読む』(2003年、朝日選書) 遠藤芳信 『海を超える司馬{{JIS2004フォント}}太郎 東アジア世界に生きる「在日日本人」』(1998年、フォーラム・A)ISBN 4894281228 中塚明『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(2009年 高文研) 宇治琢美 『武士(もののふ)の国 司馬{{JIS2004フォント}}太郎氏の「サムライ」を鑑る』(2000年、文芸社)ISBN 4835500709 小林竜雄 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎考 モラル的緊張へ』(2002年、中央公論社)ISBN 4120032280 改題 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎が書いたこと、書けなかったこと』(2010年、小学館文庫)ISBN 4094085416 高橋誠一郎 『この国のあした 司馬{{JIS2004フォント}}太郎の戦争観』(2002年、のべる出版企画)、類書を数冊刊行 延吉実 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎とその時代 戦中編』、『戦後編』(2002-03年、青弓社) 青木彰 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎と三つの戦争 戊辰・日露・太平洋』(2004年 朝日選書) 石原靖久 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の「武士道」』(2004年 朝日選書)ISBN 458283230X、類書を数冊刊行 福井雄三 『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(2004年、主婦の友インフォス情報社、2007年、同文庫)ISBN 4072588563 福井雄三 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎と東京裁判』(2006年、主婦の友インフォス情報社)ISBN 4072531901 改題 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎の「意外な歴史眼」』 (2008年、文庫:主婦の友インフォス情報社)ISBN 4072606812 別宮暖朗『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦』(2004年、並木書房)ISBN 4890631690 別宮暖朗 『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦』(2005年、並木書房)ISBN 4890631844 川原崎剛雄 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎と網野善彦』(2008年、明石書店)ISBN 4750326887 中村稔 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎を読む』 (2009年 青土社) ISBN 4791764811 山内由紀人 『三島由紀夫vs 司馬{{JIS2004フォント}}太郎 -戦後精神と近代』 (2011年 河出書房新社)ISBN 4309020518 原田敬一 『「坂の上の雲」と日本近現代史』 (2011年 新日本出版社) ISBN 4406055142 辻井喬 『司馬{{JIS2004フォント}}太郎覚書 『坂の上の雲』のことなど』 (2011年 かもがわ出版)ISBN 4780304865 -1 dl 5 0 0 0 0 0 1 雑誌特集 -1 ul 168 6 4 8 16 16 37 『カイエ 特集司馬{{JIS2004フォント}}太郎』(1979年12月号、冬樹社) 色川大吉・佐高信「対談 司馬{{JIS2004フォント}}太郎批判」、世界〈1998年1月号〉、岩波書店 『「没後十年特別企画 司馬{{JIS2004フォント}}太郎ふたたび 日本人を考える旅へ」、文藝春秋special 2006年2月臨時増刊号』 -1 dl 71 0 5 21 0 0 10 編集者、古書店店主、批評家(複数)などが寄稿。他にも、文春の雑誌では司馬に縁のある記事が多数掲載されている。「坂の上の雲」臨時増刊号が3冊刊 -1 ul 64 6 1 5 10 3 14 「東谷暁インタビュー福井雄三/司馬{{JIS2004フォント}}太郎という悪しき戦後」『表現者』(2005年、西部邁事務所)  -1 dl 32 4 0 0 8 3 7 週刊朝日『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎』シリーズ -1 ul 658 123 23 40 33 106 174 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎』(2006年、週刊朝日MOOK)ISBN 402274510X - 『燃えよ剣』、『竜馬が行く』、『国盗り物語』、『功名が辻』など 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎II』(2007年、週刊朝日MOOK)ISBN 4022745134 - 『関ヶ原』、『梟の城』、『世に棲む日日』、『峠』など 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎III』(2008年、週刊朝日MOOK)ISBN 4022745231 - 『新史 太閤記』、『義経』、『翔ぶが如く』、『花神』など 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎IV』(2008年、週刊朝日MOOK)ISBN 4022745290 - 『菜の花の沖』、『箱根の坂』、『宮本武蔵』、『北斗の人』 など 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎V』(2009年、週刊朝日MOOK)ISBN 4022745347 - 『最後の将軍』、『胡蝶の夢』、『播磨灘物語』など 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎VI』(2010年、週刊朝日MOOK)ISBN 4022745479 -『坂の上の雲の世界 青春編』 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎VII』(2010年、週刊朝日MOOK)ISBN 4022745606 -『坂の上の雲』など 『週刊司馬{{JIS2004フォント}}太郎VIII』(2011年、週刊朝日MOOK)ISBN 4022745746 -『坂の上の雲』、『覇王の家』など -1 h2 5 0 0 0 3 0 0 外部リンク -1 ul 177 106 0 9 12 48 36 司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念館 姫路文学館司馬{{JIS2004フォント}}太郎記念室 Ryotaro Shiba, 72, Historical Novelist - New York Times(1996年2月16日) 「司馬史観をどう見るか——歴史と小説」 - 米欧亜回覧の会『米欧回覧ニュース第12号』(1998年8月30日)より -1 dl 38 4 2 3 0 0 5 第10回例会(1998年7月25日)中村政則の講演の要約。質疑応答も掲載。 -1 ul 63 28 0 5 10 0 8 塾主の戦争観に垣間見る司馬史観へのアンチテーゼ - 井桁幹人(松下政経塾第27期生)『松下政経塾月例レポート』2007年3月 -1 p 74 0 0 8 0 11 39 {{-}}\n{{司馬遼太郎}}\n{{毎日芸術賞}}\n{{日本芸術院賞}}\n{{DEFAULTSORT:しは りようたろう}}\n\n\n\n\n\n\n\n\n\n\n\n -1 p 101 95 0 0 0 53 20 en:Ryōtarō Shiba es:Shiba Ryōtarō hu:Siba Rjótaró it:Ryōtarō Shiba ko:시바 료타로 ru:Сиба, Рётаро zh:司马辽太郎 1 p 276 31 10 85 18 33 37 {{出典の明記}}\n{{言語学}}\n自然言語処理(しぜんげんごしょり、{{lang-en}}、略称:NLP)は、人間が日常的に使っている自然言語をコンピュータに処理させる一連の技術であり、人工知能と言語学の一分野である。「計算言語学」(computational linguistics)も同じ意味であるが、前者は工学的な視点からの言語処理をさすのに対して、後者は言語学的視点を重視する手法をさす事が多い[1]。データベース内の情報を自然言語に変換したり、自然言語の文章をより形式的な(コンピュータが理解しやすい)表現に変換するといった処理が含まれる。 1 p 331 9 17 149 9 6 21 自然言語の理解をコンピュータにさせることは、自然言語理解とされている。自然言語理解と、自然言語処理の差は、意味を扱うか、扱わないかという説もあったが、最近は数理的な言語解析手法(統計や確率など)が広められた為、パーサ(統語解析器)などが一段と精度や速度が上がり、その意味合いは違ってきている。もともと自然言語の意味論的側面を全く無視して達成できることは非常に限られている。このため、自然言語処理には形態素解析と構文解析、文脈解析、意味解析などをSyntaxなど表層的な観点から解析をする学問であるが、自然言語理解は、意味をどのように理解するかという個々人の理解と推論部分が主な研究の課題になってきており、両者の境界は意思や意図が含まれるかどうかになってきている。 -1 hr 0 0 0 0 0 0 0 -1 h2 4 0 0 0 0 0 0 基礎技術 1 p 99 3 5 50 0 0 5 自然言語処理の基礎技術にはさまざまなものがある。自然言語処理はその性格上、扱う言語によって大きく処理の異なる部分がある。現在のところ、日本語を処理する基礎技術としては以下のものが主に研究されている。 -1 ul 25 21 0 1 0 0 4 形態素解析 構文解析 語義の曖昧性解消 照応解析 1 h2 9 0 0 3 0 0 0 処理内容とその限界 1 p 144 18 6 61 16 6 6 理論上、自然言語処理はマンマシンインタフェースの手法として非常に魅力的である。SHRDLUなどの初期のシステムは世界を限定することで非常にうまくいったため、自然言語処理は簡単だという行き過ぎた楽観主義に陥ったが、より現実的な世界では曖昧さや複雑さが増大し、楽観的な見方はなくなっていった。 1 p 118 10 6 50 0 15 10 自然言語理解は、AI完全問題と言われることがある。なぜなら、自然言語理解には世界全体についての知識とそれを操作する能力が必要と思われるためである。「理解; understanding」の定義は、自然言語処理の大きな課題のひとつでもある。 -1 h2 6 0 0 1 0 0 0 具体的な課題 -1 p 30 0 1 14 0 0 3 自然言語処理(理解)における課題をいくつかの例を用いて示す。 1 ul 8 0 1 3 0 0 2 次の2つの文、 -1 p 28 0 0 0 0 18 10 {{quotation}}\n{{quotation}}\n 1 dl 347 2 19 136 9 80 48 は表面的な文法構造は同じである。しかし、they が指すものは異なっていて、前者では猿、後者ではバナナとなっている。この例文の場合、theyの指す内容は英語の文型の性質によって決定することができる。すなわち、「they(主語)= hungry(補語)」の関係が成り立ち、補語には主語の性質を示すものがくるので、hungryなのはthe monkeys、したがって、「they = the monkeys」と決まる。後者も同様に、over-ripeというのはthe bananasの性質だから、「they = the bananas」となる。つまり、これらの文章を区別し正しく理解するためには、猿の性質(猿は動物で空腹になる)とバナナの性質(バナナは果物で成熟する)を知っていなければならない。 1 ul 25 0 2 10 0 0 3 単語の文字列を解釈する方法は様々である。例えば、 1 dl 435 8 10 117 2 134 84 {{Indent}} という文字列は以下のように様々に解釈できる。\n 典型的には、比喩として、「時間が矢のように素早く過ぎる」と解釈する。 「空を飛ぶ昆虫の速度を矢の速度を測るように測定せよ」つまり (You should) time flies as you would (time) an arrow. と解釈する。 「矢が空を飛ぶ昆虫の速度を測るように、あなたが空を飛ぶ昆虫の速度を測定せよ」つまり Time flies in the same way that an arrow would (time them). と解釈する。 「矢のように空を飛ぶ昆虫の速度を測定せよ」つまり Time those flies that are like arrows と解釈する。 「"time-flies"(時バエ)という種類の昆虫は1つの矢を好む」この解釈には集合的な解釈と個別的解釈がありうる。 「TIMEという雑誌は、投げると直線的な軌跡を描く」 1 p 43 0 2 24 0 0 2 英語では特に語形変化による語彙の区別をする機能が弱いため、このような問題が大きくなる。 1 p 102 0 5 30 0 23 20 また、英語も含めて、形容詞と名詞の修飾関係の曖昧さもある。例えば、"pretty little girls' school"(かわいい小さな少女の学校)という文字列があるとする。\n 1 ul 59 0 0 41 0 0 8 その学校は小さいだろうか? 少女たちが小さいのだろうか? 少女たちがかわいいのだろうか? 学校がかわいいのだろうか? 1 p 15 0 1 9 0 0 2 他にも次のような課題がある。\n 1 dl 707 58 30 301 11 44 99 形態素解析 中国語、日本語、タイ語といった言語は単語のわかち書きをしない。そのため、単語の区切りを特定するのにテキストの解析が必要となり、それは非常に複雑な作業となる。 音声における形態素解析 音声言語において、文字を表す音は前後の音と混じっているのが普通である。従って音声から文字を切り出すのは、非常に難しい作業となる。さらに、音声言語では単語と単語の区切りも(音としてのみ見れば)定かではなく、文脈や文法や意味といった情報を考慮しないと単語を切り出せない。 語義の曖昧性 多くの単語は複数の意味を持つ。従って、特定の文脈においてもっともふさわしい意味を選択する必要がある。 構文の曖昧性 自然言語の文法は曖昧である。1つの文に対応する複数の構文木が存在することも多い。もっとも適切な解釈(構文木)を選択するには、意味的情報や文脈情報を必要とする。 不完全な入力や間違った入力 主語の省略や代名詞の対応などの問題(照応解析)。音声におけるアクセントのばらつき。文法上の誤りのある文の解析。光学文字認識における誤りの認識など。 言語行為 文章は文字通りに解釈できない場合がある。例えば "Can you pass the salt?"(塩をとってもらえますか?)という問いに対する答えは、塩を相手に渡すことである。これに "Yes" とだけ答えて何もしないのはよい答えとは言えないが、"No" はむしろありうる答えで、"I'm afraid that I can't see it" はさらによい(塩がどこにあるかわからないとき)。 -1 h2 9 0 0 0 0 0 0 統計的自然言語処理 1 p 230 36 10 92 19 0 10 統計的自然言語処理は、確率論的あるいは統計学的手法を使って、上述の困難さに何らかの解決策を与えようとするものである。長い文になればなるほど、従来型の自然言語処理では解釈の可能性の組合せが指数関数的に増大していき、処理が困難となる。そのような場合に統計的自然言語処理が効果を発揮する。コーパス言語学やマルコフ連鎖といった手法が使われる。統計的自然言語処理の起源は、人工知能の中でもデータからの学習を研究する分野である機械学習やデータマイニングといった分野である。 1 h2 11 0 0 2 0 0 0 自然言語処理の主な応用 1 p 56 3 4 25 1 0 6 自然言語処理の応用技術として、以下のような技術が研究・実用化されている。また、言語学への応用も考えられている。\n 1 ul 98 82 4 2 18 0 16 自動要約生成 情報抽出 情報検索、検索エンジン、概念検索 機械翻訳、翻訳ソフト 固有表現抽出 自然言語生成 光学文字認識 質問応答システム 音声認識 音声合成 校正、スペルチェッカ かな漢字変換 -1 h2 2 0 0 0 0 0 0 脚注 -1 p 11 0 0 0 0 7 4 {{Reflist}} -1 h2 4 0 0 0 0 0 0 関連項目 1 ul 102 73 0 6 35 14 16 計算言語学 TREC 情報検索 ロジバン / ログラン 会話ボット Inform プログラミング言語 空想上の万能翻訳機 潜在意味解析 インターグループ 英語コーパス学会 Siri しゃべってコンシェル -1 h2 5 0 0 0 3 0 0 外部リンク -1 dl 3 0 0 0 0 0 1 資料 -1 ul 167 163 0 0 4 132 25 言語情報処理ポータル Stanford List of Statistical NLP Links A comprehensive list of resources, classified by category Language Technology Documentation Centre in Finland (FiLT) -1 dl 7 0 0 1 0 0 1 研究者の団体 -1 ul 70 67 0 0 0 41 8 情報処理学会 自然言語処理研究会 言語処理学会 The Association for Computational Linguistics -1 dl 7 0 0 0 4 0 1 オープン実装 -1 ul 340 279 0 3 6 263 55 General Architecture for Text Engineering (GATE) - Javaベース Natural Language Toolkit (NLTK) - Pythonベース Stanford's JavaNLP toolchain OpenNLP DELPH-IN: integrated technology for deep language processing Natural Language Toolkit MARF: Modular Audio Recognition Framework 音声および統計的自然言語処理 FreeLing: an open source suite of language analyzers -1 p 27 0 0 9 0 11 7 {{DEFAULTSORT:しせんけんこしより}}\n\n -1 p 1021 988 0 0 0 557 176 ar:معالجة اللغات الطبيعية be:Апрацоўка натуральнай мовы be-x-old:Апрацоўка натуральнай мовы bg:Обработка на естествен език ca:Processament de llenguatge natural cs:Zpracování přirozeného jazyka da:Sprogteknologi en:Natural language processing es:Procesamiento de lenguajes naturales eu:Hizkuntza naturalaren prozesamendu fa:پردازش زبان‌های طبیعی fr:Traitement automatique du langage naturel gl:Procesamento da linguaxe natural he:עיבוד שפה טבעית hi:प्राकृतिक भाषा संसाधन id:Pemrosesan bahasa alami it:Elaborazione del linguaggio naturale kn:ಪ್ರಾಕೃತಿಕ ಭಾಷೆಯ ಪರಿಷ್ಕರಣೆ ko:자연 언어 처리 lt:Natūralios kalbos apdorojimas mk:Автоматска обработка на јазици pl:Przetwarzanie języka naturalnego pt:Processamento de linguagem natural ro:Prelucrarea limbajului natural ru:Обработка естественного языка simple:Natural language processing sr:Obrada prirodnih jezika ta:இயற்கை மொழி முறையாக்கம் th:การประมวลผลภาษาธรรมชาติ tr:Doğal dil işleme uk:Обробка природної мови vi:Xử lý ngôn ngữ tự nhiên zh:自然语言处理 zh-min-nan:Chū-jiân gú-giân chhú-lí