最近、小説をよく読んでいる。ここ1ヶ月で10冊くらい。読み始めるとなかなか止められなくて困っている。

子供の頃から本が好きだった。誰から言われたわけでもなく、なんとなく手に取るようになり、なんとなく読み続けてきた。

どうして私は本を愛好する人間に育ったのだろうか。

幼い頃。母はよく絵本を読んでくれた。1つ違いの兄がいたので、母を中心にして、3人で1つの本を囲むようにして読んでいた。

「ぐりとぐら」がお気に入りだった。ただ読んでもらうだけでなく、質問をしたり歌ったりしながら、賑やかに読み進めていた記憶があるる。

その風景は、私が本を好きになったことに多少なりとも関係しているかもしれない。

小説を手にするようになったのは、たしか小学5年の頃。

最初に読んだのは「シートン動物記」か「ファーブル昆虫記」のどちらかだったと思う。

動物好きだった私にとって、動物記に出てくる物語はかなり好印象だったようだ。特に狼が出てくる物語がお気に入りで、「狼王ロボ」やジャック・ロンドンの「白い牙」などは繰り返し読んでいた。

子供というのは自分が好きなものが出てくる物語であれば、意味が完全にはわからなくても、なんとなく楽しめてしまうところがある。大好きな狼が出てくる物語を読むのは、当時の私にとって、きっと楽しいことだったのだろう。

本は小学校の図書館で借りていた。小学生でも読める本というのは、一般的な書店や図書館に行ってしまうとごく小さなスペースにしか置かれていない。児童書が本棚の大半を占めている学校の図書館は、子供を読書好きの道に誘うには良い空間なのかもしれない。

最初に読んだ本がお気に入りになったことは、読書を好きになった大きな要因の1つだろう。

もし私が小学生の子供に本を薦めるとしたら、何を選ぶだろうか。

自分と同じように動物記を薦めるだろうか。冒険譚なんかもいいかもしれない。「ドン・キホーテ」はどうだろう。そういえば中学に入ったばかりの頃に「どくとるマンボウ航海記」を読んで笑った記憶がある。コメディタッチなものは悪くない。

O・ヘンリとか宮沢賢治の短編は読みやすいと思う。子供なりに考えさせられる話も多い。

男女の違いによっても薦めるべき本は変わるはず。

知り合いの活字中毒の女性は、「あさきゆめみし」から与謝野晶子訳の「源氏物語」にまで進んだり、新選組にハマって時代小説を読み漁ったりしながら深みにハマっていったそうな。女性にとってこの辺りのジャンルは鉄板なのかもしれない。少し尖り過ぎなような気もしなくもないけど。

女の子向けと言われると私には今ひとつわからない。アンネ・フランクやルイス・キャロルを薦めれば良いだろうか。個人的な趣味でいくと「ソフィの世界」も推してみたいけど、少し難しいだろうか。

中学の頃はそれほど本を読まなかった。ただ、父の書斎に小説がけっこう置いてあって、ごくたまにそれらを拝借して目を通していた。

覚えているのは、司馬遼太郎の「関ヶ原」と、アンドレ・ジッドの「狭き門」。ツルゲーネフの「初恋」も同じ頃に読んだような気がする。

この時期は小説に対して熱心になったことはなかったと思う。中学生にとって「狭き門」は少し難し過ぎた。時間が余ってて、そこに置いてあったから、なんとなく読んでいただけだった。

もし子供に本を読むように育って欲しいと思うのなら、手の届く場所にいろいろな本を置いておくと(読みなさいと強制したりせずに、ただ置いておくと)、勝手に手を伸ばすこともあるかもしれない。

そういえば中学の頃はライトノベルも読んでいた。「ロードス島戦記」とか、「ガンダム」や「ドラゴンクエスト」の小説版とか。読みやすかったので漫画感覚で手に取っていた。

背伸びしたい年頃だったのでライトノベルは比較的早めに卒業してしまったが、文章を楽しく読む経験を増やすことには寄与してくれたと思う。

好きなゲームやコミックの小説版のような、馴染みのある内容で文体が軽いものは、本に慣れていない子でも手を出しやすい。そうしたライトなものから徐々に読書の道にハマりこんでいった人も多いのではないだろうか。

高校に入ってから、本格的に読書を趣味にするようになった。当時は不真面目な学生生活をしていて、授業中、教科書の影で小説に熱中していることが多かった。

いわゆる思春期、多感な時期だったので、本を読んで涙ぐんだり、鬱屈した感情を抱え込んだり、目の前が開けたような気持ちになったりと、いろいろ影響を受けていたように思う。

当時、強く感情を揺さぶられた本にはどんなのがあっただろうか。北杜夫の「神々の消えた土地」、司馬遼太郎の「峠」、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」、太宰治の「人間失格」、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」。そのあたりだったと思う。

高校生の頃の自分は今の自分とはだいぶ違った趣味をしていたようだ。

今、好きな本をあげるとしたら、トルストイの「光あるうちに光の中を歩め」、カミュの「ペスト」、アンソニー・バージェスの「時計じかけのオレンジ」、ジョージ・オーウェルの「1984年」、谷崎潤一郎の「春琴抄」あたりをあげると思う。人の好みはうつろいやすい。

本は通学路にあった古本屋で買っていた。文庫が100円〜200円で大量に置いてある店で、あまり深く考えずに適当に手に取って読んでいた。

まとめると、本を好きになる過程において、下記の要因などが影響していたと推測される。

偶然の要素もあるけど、ある程度環境が整っていて、手を伸ばしやすい状況にいれば、本を読む習慣というのは自然と育まれるものなのかもしれない。

こうした育ち方をしてみて良かったのかと言われると、答えに悩む部分もある。本の影響で性格が変質的になった部分は否定できない。

文学と呼ばれるものの多くはエロジジイか変質者か自殺マニアによって書かれている。そんな人々が書いた文章を恍惚としながら読んでいるような人間が、真っ当に育つだろうか。「週刊少年ジャンプ」を読んで育った子供と、「金閣寺」や「ドグラ・マグラ」を手にして育った子供と、どちらが真っ直ぐな心を持つだろうか。

活字を読むことを苦にしない性癖は、大量の情報が溢れる現代においてはプラスになる部分はあるとは思う。文章を素早く読んで理解できる能力は、仕事で活かされるケースも多い。本を多く読んでいる人は、書く文章もしっかりとしやすく、それがビジネスで役立つこともある。

一定レベルの愛好であればプラスの部分が多い。程良く読んで、程良く楽しめるような(本の世界にどっぷり入り込んでしまって、読み終わった後に現実とのギャップに苦しんだりしないような)距離感でいられたら良かったんじゃないかなと思った。私はもう手遅れだけど。