(論文に非凡人は規約違反を犯す権利があると書いたことについて、ラスコーリニコフが答えて)

もしケプラーやニュートンの発見が、いろんな事情が積み重なったために、その発見を妨げたり、あるいは障害としてその前に立ち塞がったりした一人、あるいは十人、あるいは百人、あるいはそれ以上の人々の生命を犠牲にする以外、人類の前に明らかにされるいかなる方法もなかったとしたら、ニュートンはその権利、自分の発見を全人類に知らせるために、その十人ないし百人を排除する権利を持っていたろうし、そうするのが義務でさえあったでしょう。

だからといって、ニュートンが誰であろうと手当たりしだいに殺したり、毎日市場でかっぱらいをしたりする権利を持っていた、ということにはなりません。

<中略>

プログラマを凡人と非凡人に分けるといったことについては、それがいささか暴論であるというあなたの意見は認めますが、しかしぼくは別に正確な数字を主張しているわけではありません。ぼくはただ自分の根本思想を信じているだけです。

それはつまり、プログラマは自然の法則によって二つの層に大別されるということです。

つまり低い層(凡人)と、これは自分と同じような定形のコードを記述することだけを仕事にしているいわば労働資材であり、それから本来のプログラマ、つまり自分の環境の中で新しいコードを生み出す天分か才能を持っている人々です。

それを更に細分すれば、むろんきりがありませんが、二つの層の特徴はかなりはっきりしています。

第一の層、つまり労働資材は、一般的に言うと、保守的で、怠惰で、言われるがままにコードを書き、服従するのが好きな人々です。ぼくに言わせれば、彼らは服従するのが義務なのです。だってそれが彼らの使命ですし、服従することが少しも恥ずかしいことじゃないのです。

第二の層は、みな規約を犯しています。その能力から判断して、破壊者か、もしくはその傾向を持つ人々です。これらの人々の違反は、むろん、相対的であり、千差万別です。彼らの大多数は、実に様々な形に置いて、より良きもののために現在あるものの破壊を要求しています。

そして自分の思想のために、たとえ現場に混乱を生み、軋轢の中を進まねばならぬとしても、ぼくに言わせれば、ひそかに、良心の声に従って、規約を犯す許可を自分に与えるでしょう……もっとも思想とその規模によるでしょうが……ここを注意してもらいたいのです。

ぼくはただこの意味であの論文の中で規約違反の権利ということを言ったわけです。

しかし、それほど心配することはありません。いつの時代も人々は、彼らにこのような権利があるとは、ほとんど認めません。そして彼らを処罰したり、クビにしたりします。もっとも時代が変わればその同じ人々が、処罰された彼らを高い地位に祭りあげて、ぺこぺこするわけですがね。

第一の層は常に現在の支配者であり、第二の層は未来の支配者です。第一の層は世界を維持し、それを数的に大きくします。第二の層は世界を動かし、それを目的に導きます。そして両者ともにまったく同じ生存権を持っています。

要するに、ぼくに言わせれば、すべての人が平等な権利を持っているのです。そして vive la guerre eternelle(永遠の戦争万歳)。むろん、新しいエルサレムが生まれるまでですがね。