タイトル | スティーブ・ジョブズ | |
著者 | Walter Isaacson | |
発売日 | 2011/10/24 | |
出版社 | 講談社 | |
ページ数 | 448ページ(1巻) + 431ページ(2巻) | |
評価 |
度重なるガンの再発で死が近いことを覚悟したスティーブ・ジョブズが、自身の人生を正しく書き残してくれる人として、アインシュタインやキッシンジャーの伝記を執筆したこともあるウォルター アイザックソンを指名。長時間・長期間のインタビューを行い、ジョブズを記録した伝記である。
ジョブズはできるだけ公平な視点で記録してくれることを望んでいたようだ。著者に対して「僕が腹を立てるようなことを書いてあるんだろ。それでいい」といった言葉も残している。
実際に本書で描かれているジョブズは、多くのイノベーションを起こした偉人としての姿と、短絡的で人を平気で傷つけるひとでなしとしての姿、双方が描かれている。
全2巻で900ページ近い厚さ。そこそこの長さがあるので、読書慣れしていない人にはすべて読み切るのは難しい長さかもしれない。
一般の人でも買えるようなパソコン、AppleⅡをウォズニアックとともに実家のガレージで開発する。
GUIを採用したコンピュータ、Macintoshを生み出す。これは元々はXeroxのパロアルト研究所からアイデアを得たものだが、Xerox本体からは重要視されてなかったそのアイデアの重要性に気付き開発、大ヒットにこぎつけている。
ピクサーのCEOとして、トイ・ストーリーやファインディング・ニモなど数々のアニメーション作成に関わっている。
アップルストアを生み出し、洋服のブランドショップのような概念をAppleのようなエレクトロニクスの企業でも実現できることを証明してみせる。
iPod、iPhone、iPadを生み出し、携帯電話やパーソナルコンピュータの在り方を変えてしまう。
これらの製品の多くはジョブズのオリジナルの発想というわけではない。AppleⅡはウォズニアックが作ったものだし、GUIはパロアルト研究所を見学して得た情報だし、トイ・ストーリーはCEOとしてコンピュータ・アニメーションに注力した結果ではあるものの創作自体に関わっているわけではない。
しかしジョブズが関わった製品の多くは、音楽プレイヤーも、スマートフォンも、タブレットも、その分野のシェアを根本的に塗り替えるような恐ろしいほどのヒットを記録している。NeXTなどの失敗作ももちろんあるにはあるが、それを忘れさせるくらいの成功率だ。
作中ではこうした製品を生み出す課程を追いつつ、ジョブズがその中でどう振る舞ったのかが描かれている。
ジョブズは常に製品のディテールにまでこだわり(ユーザからは見ることができないパソコン内部の配線まで気にしていた)、「そんなんじゃクソだ」「それは素晴らしい」「そんな機能はいらない」「シンプルがいい」といった判断を繰り返し、製品を叩き上げ、けして妥協しなかった。
普通の企業なら「コストが見合わない」「今の技術では実現できない」「ユーザはそれを求めていない」といった声に押されて妥協を繰り返して製品が作られるが、ジョブズはちょっとやそっとじゃ譲らない。「僕はこれが欲しいんだ」「君たちならやれる」と主張し、そして実際にそれを実現させてしまう。
強力なモチベーターであり、人々は彼と話していると不可能だと思っていたことが実現できるような気持ちになってくる。もちろん実現できないことはある。スティーブ・ジョブズでも癌は克服できないし、物理法則は曲げられない。それでもできるような気持ちにして周りを突き進むように仕向けることができる彼の特徴を、作中では現実歪曲フィールドと呼んで、ジョブズが持つ重要な能力の1つとして、同時に周囲から見れば厄介な能力として描いている。
Windowsは他の企業に対して開かれた、誰でもWindowsで動くソフトウェアを作ることができる環境を用意して成功していった。
逆にiPhoneは閉じられていることを強みとしてきた。そのアプリをiPhoneに入れられるかはAppleが決める。Windowsのアプローチでは、端末にFlashがインストールされることは止められない。でも、ジョブズはFlashを止めることができる。そして実際に止めた。
iPhoneやiPadをどう使い、何を提供するかは、Appleが決める。ユーザが体験することを自分たちがコントロールする。勝手なことはさせない。その代わり最高のモノを提供する。
こうした姿勢はカスタマイズ好きなギークやプログラマたちの間では不評だ。自由になんでもした人たちはApple製品を捨てるかJailbreak(脱獄)に手を出す。
ジョブズと共にAppleを立ち上げたウォズニアックは、こう語っている。
アップルはユーザーを遊び場に招き入れ、そこで遊ばせるんだけど、これはこれでいいところがあるんだ。ぼくはオープンなシステムが好きだけど、ぼくはまあ、ハッカーだからね。でもふつうの人にとっては使いやすいモノがいい。スティーブがすごいのは、どうしたら物事をシンプルにできるのか知ってるところだ。そのためにはすべてをコントロールしなければならないこともあるんだよ
どちらが正解ということはなく、時代によってどちらかが勝ったり負けたりを繰り返していくのだと思う。私自身は性格的にオープンなものでないと受け入れられないが(プログラマだからね)、クローズドな環境であっても広く受け入れられるものであるという事実については、本作を読んで強く意識させられた。
本作を読んでいて気に入ったフレーズをいくつか引用する。
「スロットにすると、ドライブ関連の技術が常に一歩遅れることになりますよ」
「知るか! 僕が欲しいのはこれなんだ」
iMacのディスクドライブをトレイ式からスロット式に変えるよう命令した時のなんともジョブズらしい言葉。技術的なデメリットがあることはわかっていたが、それでもデザイン的に美しいスロット式を選択した。
なんと言うか、スティーブ、この件にはいろいろな見方があると思います。我々の近所にゼロックスというお金持ちが住んでいて、そこのテレビを盗もうと私が忍び込んだらあなたが盗んだあとだったーむしろそういう話なのではないでしょうか。
WindowsはMacintoshを盗んだというジョブズの攻撃に対するゲイツの回答。ジョブズとゲイツは生涯に渡ってお互いを攻撃し合っているが、同時にジョブズが体調を悪くした際にはゲイツが見舞いに訪れるなど不思議な関係を保っている。
どうすればたどり着けるかわからない。あるいは4クリック以上必要なら、強烈な叱責が待っている。
UIにシンプルさ、わかりやすさを求めていたジョブズの姿勢の描写。機能は可能な限り削って誰にでもわかるUI、シンプルな外観を求め続けた。
アップルの場合、社内で協力しない部門は首が飛びます。でもソニーは社内で部門同士が争っていました。
ジョブズが復帰して以降、Appleは多くの製品を廃止して、4つの製品に注力する方針を打ち立てる。少ない商品に対して、全部署・全従業員が協力して開発にあたる。それに対してソニーは部門間の協力関係が薄くなり、社を挙げて製品を開発することができなくなっていた。
アップルには、損益計算書を持つ『部門』はありません。会社全体で損益を考えるのです。
部門ごとで儲けを出すのではなく、全社で考える。そうすることで会社を挙げて製品に注力ができる。同時にジョブズのお眼鏡にかなうような提案ができない、製品が作れない部門は潰される。
ジョブズには、これから実現したいアイデアやプロジェクトがたくさんあった。iPad用の電子教科書や電子教材を作り、教科書産業をバラバラにして生徒を重いバックパックから解放し、背中の痛みをなくしてあげたかった。
晩年、ジョブズは体調が許すギリギリまでAppleの経営に関わろうとし、そのモチベーションは衰えていなかったという。