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タイトル | アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝 |
著者 | Steve Wozniak | |
発売日 | 2008/11/29 | |
出版社 | ダイヤモンド社 | |
ページ数 | 453ページ | |
評価 |
原題は「iWoz: Computer Geek to Cult Icon: How I Invented the Personal Computer, Co-Founded Apple, and Had Fun Doing It」という長いタイトル。訳すと「iWoz: コンピュータギークの象徴 : 僕はどうやってパーソナルコンピュータを発明し、Appleを共同創業者となり、それを楽しんだか。
原書が発売されたのは2007年10月。まだiPadは売れられていないけど、iPodが記録的なセールスを記録していた時期で、iPhoneが発売された年でもある。iWozはそうしたApple製品にかけたなかなか洒落たタイトルだ。
本書は55歳になったウォズニアックが、世間で自分のことについて書かれている本に間違った内容が多いことを気にして、自伝を書くことでそうした情報を訂正することを1つの目的として書かれている。
例えばAppleを辞めた理由。作りたいもの(テレビやビデオなどを1つのコントローラで操作でき、マクロ的な機能も持てるもの)を思いついたので、会社を立てて作ってみようと思っただけなのに、記事で会社に不満があるので出て行くことになったと書かれたことなどが気になっていたようだ。
また自身が子供の頃から変わった子供であったことから、変わっていても良いのだと今の子供たちに伝えたいという意図もあったそうだ。
全20章の構成になっているが、子供の頃の話(父親がエンジニアでその影響から小学生の頃から機械と戯れていたらしい)、いたずらの話(テレビ妨害機を作ったり)、ジョークダイヤル(電話をかけると自動音声でジョークを言ってくれるダイヤル)を立ち上げた話、そしてアップルを立ち上げた話など、その生涯を取り留めもなく綴っている。
本書はウォズニアックが自分で筆を執ったものではない。ウォズが語ったことを記者がメモして文章に起こしたものになる。訳者はそのテイストを残すために口語っぽさを意識して翻訳したそうだ。
ハッカーの世界では他の人にはできないような魔法のようなことをできてしまう人をWizard(魔法使い)と呼ばれるが、スティーブ・ウォズニアックはまさにこのWizardの典型のような人だ。
名前も実に魔法使いっぽい。オズの魔法使いにかけてThe Wonderful Wizard of Wozと呼ばれることもある。
1970年台、まだマイクロプロセッサがなくコンピュータを動かすにはいくつものチップを積んで連携させていた頃。チップの数が少なければ少ないほどコストが安く抑えられるわけだけど、ウォズの手にかかると普通の人の半分以下のチップで実現できてしまう。
子供の頃から紙の上で回路を設計して遊んでいるという変わり者だったが、実際にそれを
Appleを巨大企業に押し上げたAppleⅠとAppleⅡはほぼウォズニアックの手によって作られたようなものだが、同時にスティーブ・ジョブズとの関係がなければそれが世に出ることはなかっただろうとウォズ自身は語っている。おそらく参加しているコンピュータで設計を発表してそれで満足してしまっていただろう。
ジョブズはウォズニアックが作ったAppleⅠが売れると踏んで共同で会社を立ち上げ、実際にあっという間に5万ドルの受注を引っ張ってきてしまう。
お金にはあまり頓着せず、Apple上場時には自分の株を格安でストックオプションとして社員に配ったり、何億という損失が出る野外コンサートを開いたりと、自分の財産が減ることをあまり気にしない性格をしているようだ。
だからといって善人と呼ばれるようなタイプでもなく、いたずら好きで人を困らせて楽しむという困った一面も持ち合わせている。
周囲からの評価や贅沢な暮らしよりもFun(楽しさ)を重視しているところは、これぞハッカーという考え方だと言える。ウォズというとソフトウェア系のハッカーとは違いハードウェア系のハッカーだが、彼の姿を見ていると楽しさを求める姿勢は変わらないのだと実感する。
いつものように印象に残った節をいくつか取り上げて終わりとする。
宗教について聞くと、いや〜、オレは科学教だからねっておやじは言ってた。
エンジニアだったウォズの父親の話。生粋のエンジニア家系に育ったようだ。技術者は突き詰めていくと科学教かスパゲッティ・モンスター教に流れて行きやすい。
そのころ、僕がすごいなぁと思ったのは、五年生の算数で、ド・モルガンの法則とかブール代数とか、コンピュータで使われる数学が理解できちゃうっていう点だった。だって、五年生で習う範囲がわかっていれば、誰でもブール代数が理解できるってことだよ?
ウォズ的には五年生レベルの算数があればコンピュータを設計できるようだ。言われてみればブール代数自身はそのくらいの年代で十分だし、その年代で学んで使いまくっていれば、頭の中で回路の動きをシミュレートできることもできるようになりそうな気はする。
今、僕はルーレットショッカーっていうのを持ってる。四人が親指をあたると、音楽が流れて光が回転する。それがゆっくりになっていき……誰かがビリっとなるのさ。ハードウェア屋はこのゲームが好きだけど、ソフトウェアの連中はやりたがらないんだよねぇ。
ハードウェア屋は作業中に感電することくらい日常茶飯事なので、電流が流れてビリっとするゲームも楽しんでできてしまうらしい。ハードウェア屋、怖い。
そのころチップはとっても高いもので、ただでサンプルをくれと頼む勇気は、僕にはなかった。この一年ほどあとにスティーブ・ジョブズと出会うんだけど、彼は販売担当者に電話をかけ、ただでチップを手に入れられる勇者だった。あんなこと、僕には絶対にできない。
ウォズにないところをジョブズが埋め、ジョブズにないところをウォズが埋める関係。
スティーブと二人、ビルの家の前で歩道に座りこみ、それまでのいたずらの数々や、どんなエレクトロニクス機器を設計したかなど延々と話し合った。 いや〜、似てるなぁって思ったよ。自分の設計を説明しようとすると苦労することが多いんだけど、スティーブはすぐにわかってくれたし……。彼を気に入っちゃってね。あのころの彼はやせすぎだったけど、エネルギーの塊って感じだった。
ジョブズ自身はエンジニアとしての功績がそれほどあるわけではないけど、アタリでも働いていたし、エンジニアリングを理解するだけの下地と素養は十分に持っていた。
このころ、僕はもうかなりすぐれた設計技術を身につけていた。だって、高校時代から大学の最初の二年間、紙の上でコンピュータを何度も何度も設計していたんだからね。回路設計についての知識なら豊富に持っていた。
紙の上でコンピュータを設計するのが趣味だったというのも驚きだけど、それを実際に作って想定通りに動かしてしまえたというのもまた凄い。常人とはちょっと違った人だということがよく分かる。
携帯電話が出回り始めたころ、僕は、他人の携帯電話が聞ける装置を持っていた。それには、かけてきた人の電話番号が表示される。
さらっと怖いことが書いてある。電話のハックはウォズにとって趣味みたいなものだし仕方ない。
ゲームのコンセプトは、ピンポンとかテニスみたいなもので、驚くほどのものではなかった。僕がすごいなぁと思ったのは、テレビスクリーンの白黒のドット(ピクセルと呼ばれる)をコントロールすることでゲームができるって誰かが思いついたという事実だ。すっげー!
ウォズがアタリのゲームを初めて見た時の感想。確かに今ではゲームというのは当たり前のものになっているけど、テレビでゲームができるという発想を最初に思いついた人は凄い。今の世の中にもそうした発想によってできることが埋もれていたりするのだろうか。
当時はテレビを買うと回路図がついてきた。回路図を読めて、エレクトロニクスの知識があれば、トランジスタとかフィルター、コイル、電圧なんかをチェックすることができる。回路のあちこちを探り、テレビのどこにビデオ信号が流れているのかを見つけられるんだ。そうやって、僕は、NTSC企画に従ったテレビ画像が乗った信号がある場所、テレビ表示回路に信号が入る場所を見つけた。
ウォズが自宅のテレビでアタリのゲームができるような機器を作ろうとした時の話。回路図を参考に調べてなんとかできてしまうものだったらしい。
僕がポンゲームを作ったのは、もちろん、商業的な目的があったからじゃない。僕は、すべてを自作した。アタリ社とは何の関係もなかったけど、ともかく、テレビにつなげる家庭用ぽんゲームをアタリ社が出す少なくとも一年前に、僕はこれを完成していた。
アタリのゲームを、アタリ社より先に家庭用テレビで動かすことに成功していたそうだ。発明家ウォズニアックらしい逸話。
たぶん、有名になれるはずだと思った。アルテア用のBASICを書いたビル・ゲイツと同じように、6502用BASICを初めて書いたのはスティーブ・ウォズニアックだって、みんなに知ってもらえると思った。
面白いところでビル・ゲイツの名前も出てきていた。当時ゲイツはアルテア用のBASICでMicrosoftの発展の足がかりを作り、コンピュータ業界でも有名になっていた。
あのころ、BASICを見ると涙が出たよ。FORTRANなんかと比べると、貧弱でつまらない言語だったからね。あんなもので、エンジニアや研究員が使うような複雑なプログラムを組む人なんかいっこないと思った。
ウォズくらいのレベルだとやはりBASICには好感は持てなかったらしい。とはいえ需要がある言語である為、最終的には自身でBASICを実装している。
BASICはどれもほぼ同じで、『101 Basic Computer Games』のゲーム101種類は、入力すれば動くと思っていた。でも違った。僕が作ったBASIC、つまり、その元になったHP用BASICは、ビル・ゲイツのマイクロソフト用BASICとはまったく違うものだった。マイクロソフト用BASICは、DEC用BASICを元にしていた。ちくしょー!
BASICは方言がいくつかあるけど、ウォズはHPの社員でもあったしHP用BASICを参考にしたけど、それだとMicorosft用のBASICのコードは動かなかったという話。当時は対象のコンピュータごとに実装しなければいけない上に、言語自体にも方言があったりと、混沌とした状況だった。それを考えると今はすごく恵まれている。
アップルⅠは、キーボードとディスプレイが使える最初のパーソナル・コンピュータとして歴史にその名を残した。アップルは、カラーの高解像度グラフィックス、サウンド、そして、ゲームパッドの接続機能を提供した。BASICをROMに搭載し、立ち上げた瞬間から使える初めてのコンピュータでもあった。
ウォズ本人によるアップルⅠ評。それまでのプロダクトは、立ち上がったはいいけどプログラムを読み込ませないと何も動かないものだった。
スティーブやマイクに見つからなかったのは幸いだった。少なくともマイクは、「いたずらなんぞするな。ジョークなんてもってのほかだ。会社のイメージが悪くなる」と言ってたはずだ。いわゆるプロフェッショナルな人って、そういうものだからね。でも、僕はスティーブ・ウォズニアックだからね。
アップル創業後のコンピュータ関連のイベントにて。誰に何を言われようとウォズニアックはいたずらはしなければならない。
プログラムの中をどういう経路で通ろうと、いくつの命令を実行しようと、いくつの分岐を通ろうと、つねに32マイクロ秒ごとに新しいデータの塊が書かれるようにしなければならなかった。 こんな精度でタイミングをはかるソフトウェアなんて、ハードウェアの人間にしかできないと思う。ソフトウェアのプログラマーは、こんなにきつい精度のタイミングを要求されることはないからね。
フロッピーディスクのコントローラ開発時の話。フロッピーディスクの転送レートに合わせてどういった分岐でも32マイクロ秒ごとにデータが送出されるようにすることで、当時の業界で最速のフロッピーになったらしい。ハードウェア屋、恐ろしい。